お前が泣くなら何度だって
守ってやるからと



壊れてしまうもの、壊れないもの




真っ白でつるつるな陶器の小物入れは、綺麗な青で複雑且つ繊細な模様が描いてあり、それはのお気に入りで、それの贈り主がマルコであると言う事もあって大層大切にしているものだった。
だから、それが机の端に置いてあるのを見て「ああ、落ちたら割れてしまう」とそれを移動させようと手を伸ばしたのだが。
そんな時に限って手が予期せぬ方向に動くと言うか、上手く動かなかったと言うか。
とにかく、気付いた時には手が変なところに当たって小物入れは机の端から滑り落ちてしまっていたのだ。
「!!」
慌ててもう片方の手を伸ばしたが、引力がそれを引き寄せるのに敵いはしなかった。
出した手はそれを掴む事なく、それは耳に痛い音を立てて床に叩きつけられ白い破片を散らす。
やってしまった、と肩を落としてそれを見つめていると何故かじわりと目の奥が熱くなった。
この小物入れは気に入ってはいたが、元々物に執着を持つ方ではなかったはずだ。だが、それが壊れてしまったと言う事が無償に悲しかった。
壊れてしまったものは元に戻らないと言う当たり前の事が、何故か今は酷く切なかった。
そしてその中身に目が行く。
破片で指を傷つけてしまわないように気をつけながら、バラバラになってしまった陶器を避けてそれを拾い上げる。
いつも彼女の左足首を飾っていた、赤い石のついたアンクレットもマルコからの贈り物だ。
彼女が初めてマルコに贈り物をした時そのお返しとしてくれたそれは、初めてもらったものと言う事もあり、やはり彼女のお気に入りの一つだった。
寝る時と風呂に入る時以外はいつでも身につけていたそれは、今の衝撃では壊れるような事は無かったが、それでももう大分年期が入っているのは確かだ。
それを考えると今まで良く壊れなかったものだと思う。戦いの最中にいつ壊れてしまってもおかしくはなかったのではないかと。
そう思うと途端に恐くなった。お気に入りの物がまた壊れてしまうのではないかと。
深い吐息を一つ零して、はアンクレットを机の上に置いた。
なんだか朝から滅入ってしまった。
一度壊れてしまうのではないかと思ってしまえば何をしても気になってしまいそうで、いつもなら朝起きて着替えと同時に足首につけていたそれを、今日はつけずに部屋を出た。
目の奥がまだじんじんと熱い。
朝食を摂る気にもならずは食堂の前を通り過ぎてそのまま甲板へ向かった。
その様子を食堂で朝食を食べていたハルタが見かけて首を傾げたのである。



ドアをノックしたマルコは中からの返事がない事に微かに首を傾げた。
船に戻っている時は一緒に食堂へ向かうのが自然と習慣になっていたのだが、今日は先に行ってしまったのだろうか。
もしかしたらまだ寝ているのかも知れないと、ドアノブを回してみればやはり鍵は掛かっていない。
寝る時は鍵をかけろと何度も言っているのだが(仮にも女の部屋なのだから)、彼女がその言葉を一度として聞いた例は無い。
小さな溜息をつきながら部屋の中を見回してみればベッドに彼女の姿は無く、代わりに床に散らばる白い欠片が目に付いた。
近寄って確認してみればいつかマルコが彼女に贈った小物入れ。船が揺れた時に落としてしまったのだろうか、無残な姿になってしまったそれを勿体無いとは思うが、それよりもマルコは何故彼女がこれを片付ける事なく部屋からいなくなったのかと言う事の方が気に掛かった。
加えて机の上に置かれたアンクレット。これも彼女への贈り物で、彼女はそれをいたく気に入ってくれていて、いつだって肌身離さず身につけていたはずなのに。
いつもの彼女らしからぬその行動の数々に、マルコは首を捻りながらアンクレットを手に取った。
そうして彼女の姿を探して食堂へと向かう途中で。
「マルコ!」
思いがけずハルタに声を掛けられ身体ごとそちらを振り向くと、珍しく慌てた様子のハルタ。
「マルコ、と別れたの!?」
顔を突き合せるや否や、予想もしていなかった言葉を掛けられてマルコは思わず体を硬直させた。
だがそんな様子のマルコには全く気付く風も無く、ハルタは彼が手に持っていたアンクレットに視線を移す。
「それ、付き返されたの?」
思いもよらない言葉の連続に言葉を挟む隙すらも見逃してしまったマルコがややあって口を開く。
「待て待てい。どうしてそうなるんだ。おれは別にアイツと別れちゃいねェよい」
漸くそう言えばどこかほっとした表情を浮かべたハルタがはっと気付いて苦笑した。
「そっか、ごめん。おれ取り乱しちゃって。でもさっき見かけた、すごく元気なかったし。溜息ついて食堂の前を通りすぎて行ってさ。なんか雰囲気が違うと思ったらいつものソレ、してなかったから」
そう言いながらマルコの手の中のアンクレットを指差すハルタは、隊長達の中では彼女と歳が近い事もあるのだろう。彼は彼なりに彼女の事を心配していたらしい。
それにしたって尋ねられたこちらの方が心臓に悪い、と先程の言葉を思い出しながらマルコは彼女の居場所を尋ねる。
「わかんない。甲板には出て行ったみたいだけど」
そう応えるハルタに短く礼を返し、マルコは彼女を探す為に甲板へと足を向けた。
その途中、甲板への扉の前でクルーに声を掛けられ、マルコは再び身体を硬直させる事になる。
「マルコ隊長、隊長に何かしましたか?」
「何もしてねェよい。アイツはどこ行った?」
彼女の部屋で小物入れが壊れていた事を思い出す。一体彼女の身に、心に何があったと言うのだろうか。
互いの事ならばまずは自分に何かしらの話があってしかるべきだろうと。だがその彼女は今朝から姿が見えない。
少しだけ不機嫌そうな声を出してやれば、己の失言に気付いたクルーが身を竦ませた。
船尾の方で彼女が泣いているのを見た、と言われればその足が早くなるのを止める事など出来ない。
一体彼女は何を先走って一人で泣いているのか。彼女へと贈ったアンクレットすら外してしまって。
別れただの何かしただのと、冗談じゃないと吐き捨てながら船尾に辿り着けば、確かにそこにはの姿があった。
船縁に肘をかけて思考に耽っているのか、マルコの気配に気付く様子も無い。
傍に寄れば確かに憂いを含んだ瞳をしていて、その唇から盛大な溜息が零れる。

声をかければ本当に今まで彼の気配に気付きもしなかったのか、驚いた表情で振り返る。
その隣に並んで同じように船縁に肘をついて尋ねた。
「お前、おれと別れたいのかい」
ハルタに投げ付けられて驚いた台詞が口をついて出た。ちらりとその足首に視線をやればいつものアンクレットは無く、確かに己の手の中にある物がそれなのだと思い知らされる。
何故、外している。とは言えなかった。
「マ、ルコが、そうしたいなら、私は…」
泣いて縋るなど彼女の柄では無い。
彼がそうしたいのなら。既に心がこの元にないと言うのなら無理に引き止めて束縛はしたくないと、が口を開く。
マルコがそうであったように、思いもよらない言葉に目を見開いて驚きを表す。その様子を見て、自分の考えが杞憂である事を悟ったマルコは手を伸ばしてその言葉の続きを止めさせた。
「いや、違うならいい。変な事言って悪かった」
頬に手を当てれば涙の痕がまだ残っていた。しっとりとした頬を撫でて尋ねる。
「何を泣いてたんだい」
「マルコから、もらった小物入れを、壊してしまって」
言いながらまた悲しくなって来たのか、時折声を詰まらせる彼女にマルコは意外そうな表情を浮かべる。
あの小物入れが不注意で壊れてしまったのだと言う事は分かったが、まさか彼女がそれだけでこのように落ち込むとは思ってもいなかった。
「そんな事で泣くなよい。お前らしくもない」
マルコに言われたように、らしくないと言う事は彼女自身が良く分かっている。
けれど壊れてしまうのは簡単で、元には戻らないと言うその事実が、の胸を締め付けていた。
「そんな事、かも知れないけど」
壊れてしまった小物入れが、何故か自分とマルコの関係に重なってしまう気すらして。
なんの根拠もない妄想だとはわかっている。けれどいつか壊れてしまうのかと思うと怖くなってしまったのだ。

そんな彼女の思いを察知したマルコは彼女の名を呼び、その身体を後ろから包み込むように抱き締めた。
「形あるものはいつか壊れるもんだ。けど、形がないものは壊れないように守る事だって出来る。そうだろい?」
ゆっくりと言い聞かせるように言うと小さくだが確かに彼女は頷いた。
「分かったらこんな事で泣くのはこれっきりにしてくれよい」
心臓に悪い、と告げればごめんなさい、と小さな声が返ってくる。
その言葉に小さく苦笑いを浮かべ、マルコは久し振りに彼女の頭を撫でた。そこに触れられるのが辛いとは分かっていたがそうしたくて堪らなかった。
ついでに彼女を自分の方へと向き直らせ、額に一つ口付けを落とす。
予想通り少しだけ耐えるような表情で、それでも大人しくそれを受けた彼女の顎を捉えてその唇にも口付けた。
「おれだって必死なんだよい。お前を手放したくないからな」
言いながらその足元に跪き、持っていたアンクレットをいつもの場所につけてやる。
「つけておけよい。お前がおれのモンだって証だからな」
壊れちまったらまた新しいのをくれてやると笑みを浮かべると、その身がぽすりと腕の中に飛び込んで来た。
「マルコ、大好きよ」
囁くように告げられた言葉は、しっかりとマルコの耳に届く。
マストの陰からこっそりと見守っていたハルタが、ぴったりと寄り添った二人を見て満足そうに船室へと戻って行った。



10000hit企画にご参加くださったカヌ様にお贈りします。
マルコからのプレゼントを事故で壊されてしまった炎駒のお話、でしたがこれは不慮の事故で(自分で)壊した。になってしまいました。
ちょっとリク違いな気もしますが気に入っていただけますでしょうか…。
最終的にはマルコとラブラブ!だけは頑張りました!(コラ)
カヌ様、企画へのご参加ありがとうございました!
完成に時間がかかってしまい申し訳ございませんでした!気に入っていただければ幸いです!
by.盈
20101116