一目惚れなんてありえないと思っていた。
ましてやこんな身の上だから。
誰かに愛を捧げるなど滑稽だ。



Amore freddo:Uno

 〜それでもキミに恋をした〜



それはとても寒い日の事で、しかも空もどんよりと曇っていて、これ以上何か不幸があったらすぐにでもピサの斜塔から飛びてぇ〜!と思いたくなるような、鈍色の空が心に重くのしかかる、そんな昼下がりだった。
とは言え、彼女の人生は既にどん底に近いところにあったし、何か不幸があった訳でも、心に滓が溜まっている訳でもなかったから、いくら天気が悪かろうが関係は無かったのだが。
それでもこの寒さだけはいただけない。
コートの襟をしっかりと立て、服の中に冷気が入り込むのを少しでも防ごうとしながら、は近くのバールに足を向けた。
誰も彼も考える事は同じなのか、寒さを凌ぐ人々で若干窮屈な店の中、それでもカウンターの隅に空席を見つけた。
カフェ・コレットをアマレットで作ってもらい、少し冷ましてから口をつける。
猫舌の彼女には若干熱く感じるがそれが冷えた身体には丁度良い。アマレットの甘い香りに思わず表情が綻んだ。
「一人か?スィニョリーナ」
不意に隣から声を掛けられた。
すぐ隣に居たと言うのに全くその男の存在が目に入らなかったが、良く良く見ればかなりの男前の部類に入るであろう、顔の整った若い男だった。
「おいおい、こんなところに一人で来て大丈夫なのか?バンビーナ」
振り返って顔を付き合わせた途端にそう言われ、は少し拗ねた表情をして見せる。
「お気遣いありがとう。でも大丈夫よ、あたしこれでも22なの」
「それは失礼した。オレと一つしか違わないとはな。チネーゼか?」
日本人の血が半分混じっているせいか、実年齢よりも若く見られる事にももう慣れっこになっていた。
「母がジャポネーゼよ。父はイタリアーノ」
そう応えると男はそうか、と歯を見せて笑った。その笑顔で一体何人の女性を虜にしてきたのだろうか、などとつまらぬ事を考える。
「フィレンツェには観光か?」
バールでは初めて会った相手でも気軽に会話を楽しめる。当たり障りの無い質問になら応えてやっても構わないと彼女は口を開く。
「いいえ、仕事よ。暫く滞在する事になりそうだけど、初めて来たわ」
「奇遇だな。オレも仕事なんだ」
その男はそう言って彼女をじっと見つめた。
「何か?」
見られる事に慣れているは何食わぬ顔で男を見つめ返した。
見つめてやれば大抵は顔を赤くして視線を逸らされるのが常だった男は、彼女の反応に意外そうな、だが楽しそうな笑みを浮かべた。
「また会えたらその時はチェーナ(夕食)でも奢らせてくれ。それから名前も聞かせてくれ」
そう言って、男は空になったカップを残して去っていった。
ごった返す店内をするすると抜け出して行く男の背を見送った後でも残ったカフェ・コレットを飲み干す。
アマレットのほろ苦い甘味が口に広がり、ふんわりと身体を温めてくれるアルコールが心地良かった。



パッショーネがこんな短期間で勢力を大きくできたのは、もちろんボスの手腕もあるだろうが、何よりスタンド使いを擁している事が大きかった。
スタンド使い同士の戦いは厄介だが、一般人相手になら絶大な威力を誇る。赤子と大人程の差が出る時もある。
そうして多くのスタンド使いを抱え込んでいるパッショーネが、外の敵を葬り去るのに暗殺を目的としたチームを組織したのは至極当然の事であった。
そんなわけで、新しく作られたばかりの暗殺チーム。全くネーミングにセンスのかけらもナイどころか、あまりにそのまんま過ぎて文句をつけるのもバカらしくなってしまうようなチームネームだが、それでも仕事は仕事。
最早この世界以外では生きてはいけない身の上。
男は小さなメモにもう一度目を通した。
ただ一人の男の名と、どこかの場所を示したらしい地図を頭に叩き込むと、咥えていた煙草から火を移しメモを灰皿に放りこむ。
白い紙が炎に包まれ真っ黒になり、やがて灰となって崩れ落ちるのを待ってから、男はホテルの部屋を後にした。
いるとは思わなかったが、万が一の為に尾行を警戒しながらそれでも回りになど気を使っていませんよ、と言う体で路地を進んでいく。
民家が立ち並ぶ狭い路地の最奥に現れたのは黒く重々しい扉。
頭の中の地図は確かにこの場所を示している。
男はさり気なく周囲に気を配り、誰も居ない事を確認すると扉を開け、その身をするりと潜り込ませた。
扉を抜けた先にはまた路地が続いていて、男は少し拍子抜けした。
高い壁に囲まれた路地はまっすぐ奥へと続いている。その道は大して長くはなく、直ぐにまた今度は白い扉が見えて来た。
今度は回りを警戒する必要も無く、男は一思いににその扉を開ける。
中に踏み入った途端、三つの警戒の目を向けられた。
扉近くの壁に寄りかかって猫を撫でている赤毛の男。
奥に置かれたソファに座り表情の読み取れない黒い瞳でじっとこちらを見ている男。
そしてその男の後ろに立ち、男の肩口からこちらを見ているのは。
「あら、昨夜の色男」
先に口を開いたのは女の方だった。昨夜、バールで出逢ったハーフの女がそこにいた。
「なんだ、知り合いか?」
黒い瞳の男が女を振り返る。女は「ちょっと、ね」と笑っていた。
お前たちの方こそ知り合いなのか、と言いたくなるのをぐっとこらえて男は名乗った。
「プロシュートだ。アンタがリゾットか?」
メモに書かれていた男の名前。
彼が腰掛けているソファの向かいに置いてある一人掛けのソファに腰を降ろし、彼に不躾な視線を送った。
これから自分が命を預ける事になるチームのリーダーとなる男がどんなヤツなのか、じっくり見極めてやろうと言う魂胆を隠す気も無かった。
「そうだ」
プロシュートの視線を真っ向から受け止め、頷くリゾットの肩口から、女がソファの背もたれに身を乗り出すような格好で手を差し伸べてくる。
「あたしは。また会えたわね」
だがプロシュートはその手を取る気にはなれなかった。
何故だか無償に苛立ちが募り、思わず鼻を鳴らしていた。
「ハッ!女を連れてるようなヤツの下につけってのか?」
プロシュートが嘲るような笑みを浮かべてリゾットを見やり、次いでに視線を投げた。
彼にしては本当に珍しい事だが、昨夜バールで出逢ったあの女がまさかこんなところにいて、そしてその上リーダーである男と親しい関係にあるらしい事に、何故かイラついた。
次の瞬間。
「リゾット!」
彼女の声が制するよりも早く、リゾットの拳がプロシュートの頬に叩き込まれていた。
「彼女を侮辱するのは許さない。言葉に気をつけろ」
思ったよりも威力があったのか、口内が切れて血の味がした。
「…やるじゃねぇか!」
血の味のする唾を吐き、お返しとばかりにリゾットの横っ面を殴り飛ばす。
「ちょっと!二人とも何やってんのよ!ホルマジオも見てないで止めてよ!」
は小さな身体で二人の男の間に入りながら、この事態を静観している赤毛の男に助けを求める。
「しょ〜がねぇなあ〜。オメーら初対面で何熱くなってんだよ、少し頭冷やせよ、な?」
そう、口は出したものの巻き込まれるのはごめんだとばかりに壁に預けた背を離そうともしない。
それでも一瞬にして沸騰した頭は同じように一瞬にして冷めて行く。お互い殴られた頬をさすりながら、身を離した。
「もう!一体なんなのよ!リゾットこっち来なさい!」
そう言ってはリゾットをリビングから連れ出した。小さな彼女に怒られて大きな背を丸めて後に従う男がなんだかアンバランスで笑えた。
すぐに彼女は戻ってきて、リゾットの手当てを頼まれたホルマジオが入れ替わりにリビングを出て行く。
「リゾットを怒らせるなんて、貴方なかなかね」
リビングに戻って来た彼女はどこから用意してきたのか救急箱を持ってきており、いらないと拒むのを許さず、殴られた頬の具合を調べながら言った。
「何を突然不機嫌になっちゃったのかは知らないけどね。あたしの事を女だと思って見くびるのだけはやめて頂戴。こう見えてもリゾットより長いのよ。この世界で生きてきた時間は」
そう言った彼女の瞳は、裏の世界の何を見てきたのかどろりとした鈍い光をほんの一時だけ宿し、プロシュートは思わず目を瞬いた。
だが次の瞬間には何事も無かったかのように彼女を覗き込むプロシュートの姿を映すだけ。
手際良く彼の頬に薬を塗りつけ、ガーゼを当てる。
「全く、男前が台無しね。体格のいいリゾット相手にケンカなんて売るもんじゃないわ」
「いいのか?アイツを放っておいて」
その言葉には首を傾げて暫く彼を見つめていたが、やがて言った。
「まさか、それで苛立ってるワケじゃあないわよね?あたしとリゾットは同郷で顔見知りだっただけ、それだけよ」
「そのまさかだっつたらどーする?」
「…貴方程の男前だったらわざわざあたしじゃあなくてもいいでしょうに。でもそうね、とりあえずチェーナを奢ってもらおうかしら?」
バールでの約束を覚えていた彼女はあの時のやり取りを持ち出して笑う。
やがてプロシュートと同じように頬にガーゼを貼り付けたリゾットがホルマジオと共に戻ってきた。
ガーゼの張り方がプロシュートの物より雑に見えるのは、手当てした人の性格だろう。
「いい?これからあたし達はチームになるんだから、仲良くやっていきましょうね?」
そう言い含めながらリゾットとプロシュートを交互に睨み付けた彼女はまるでマンマみたいだとホルマジオは思ったのだが、もちろんそれを声にするような迂闊な事はしない。



20100627