まるで落雷でもあったかのような破裂音に、彼女はまず空を見上げた。夜の帳が降りて来てはいるが、空に雲はかかっていない。
次いで背後を振り返れば最後の一人と思われる男が地に臥し、その向こうには女が一人立っている。燃えるような赤い髪は非常に、目立つ。
「女一人に多勢とは呆れたものね」
言い捨てながら埃を払うかのように掌を叩くその女は、どこかで見た事のある顔だ。
「無事かい?」
訪ねられる声に、サファイアは然り気無い動作で腰に下げた剣の束から手を離した。
「お陰さまで」
柔らかく微笑みを返して助けて貰った礼を表す脳裏に、勤務中に見た手配書のうちの一枚が浮かぶ。
赤い髪が印象的なその女をサファイアは直ぐに思い出した。
白ひげ海賊団の、0番隊隊長。
自分を追いかけてきたゴロツキなどよりも遥かに厄介な相手。その人物が目の前にいるのだと知って、サファイアは小さく肩を竦めた。
「この辺は海軍の目があるから、とは思ったけれどどこにでもこういう輩はいるもんだね。気をつけなよ」
彼女はそう言うと、今自分が助けた人物が海軍である事も知らずに、夜目にも目立つ色の髪を翻して路地の向こうへと消えて行ってしまった。
「・・・勤務外の事だから、大目に見てもらおうかしら」
それに、助けて貰った恩もあるのだし。と、海賊である彼女を見逃す事にしたサファイアも、踵を返すと路地を抜け出した。
「次に会う時は敵同士なのね」
呟いた声は誰にも聞かれる事は無く、次の邂逅が訪れるとはサファイアは思ってはいなかった。
海は広く、また、相手の勢力は、遠い。



「あら・・・」
「ん・・・?」
ところが。
運命とは数奇なものである。とは誰が言ったものか。
サファイアが訪れたレストランの入り口、そこで再び二人は出会ってしまったのである。
チンケなゴロツキに絡まれていたサファイアを、赤い髪の女が助けてから、僅か数十分後の事だ。
「また会ったね。あんたもここで食事かい?」
思いがけぬ再会に苦笑を浮かべる女の名を、サファイアははっきりと覚えている。
『炎駒のヴェロニカ』。白ひげ海賊団の0番隊隊長を務めるれっきとした賞金首なのだから。
「ええ、ここのお肉料理は美味しいと評判だから」
再会後僅か数秒にして彼女を捕縛する事を諦めたサファイアは、そう応えて穏やかな笑みを向けた。
彼女は海軍で、相手は海賊であったけれども、今はプライベートの時間でもあるし、なにより新世界で四皇と呼ばれる男の下で隊長を務める彼女を、一人で相手にするのは些か軽率が過ぎるだろうと思ったのだ。
「そうなんだ。それは期待出来そうだね」
そう笑ったヴェロニカがお先に、と小さく頭を下げて店の中へと入って行く。
出迎えたボーイに一言告げて案内も無しに奥へと入って行く彼女を、サファイアはなんとはなしに目で追いかける。
そうしてヴェロニカが向かった先、既に席についていた男の姿に、彼女は思わず溜息をついた。
「いやだわ、隊長格が二人もこの街にいるなんて・・・」
やってきた女の姿に表情を綻ばせるその男は、胸に大きく刻んだ誇りを隠そうともしない。不死鳥のマルコ。ヴェロニカと同じく白ひげの下、1番隊隊長を名乗る海賊だ。
そう言えば、彼女の手配書には『不死鳥の女』などと言う注意書きもあったと、サファイアは思い出す。
そしてどうやらそれは事実のようだ。
大きな騒ぎにならなければいいのだけれど、と思いながらサファイアもボーイに待ち合わせである事を告げ、待ち人の姿を探した。
彼女が店に入って来たところを見ていたのだろう。軽く首を巡らせれば約束の相手が既にそこにいて、サファイアに向けて合図する。
視線が交わり、柔らかい笑みを浮かべたサファイアは、少しだけ急いでそちらへと足を運んだ。
「少し遅かったな。何かあったか?」
ゴロツキ達のせいとは言え、約束の時間にほんの少しだけ遅れてしまった事を咎める風でもなくむしろ心配を露にするのはこの男の良い所だ。
「何でもないわ。大した事じゃないの」
「何か、はあったんだな?」
いつもの口癖と共に発したその、言葉尻を捉えて眉を顰める彼に、サファイアは思わず苦笑してしまう。
「心配しないで、ドレーク。助けて貰ったから、本当に大丈夫だったのよ」
そう告げて、ほんの少しの悪戯心で彼の背後を指差す。
「彼女に助けて貰ったの」
身体を捩って示された方を振り返り、いくつかのテーブルを越えた向こうに座っている男女の姿を確認したドレークが、驚いた表情でサファイアに向き直る。
不死鳥の方は彼女達に背を向けて座っていたし、ヴェロニカもメニューに夢中だったので、ドレークが彼らを確認した事には気付いていないようだ。
お勧めだと言われた肉料理でも吟味しているのだろうか。
勿論、ドレークも海軍である以上は手配書の確認は怠る事は無いし、ヴェロニカの事は覚えているだろう。何しろ、その手配書は確かに二人で見たのだから。
「男の方は『不死鳥マルコ』か?」
この距離で聞こえる筈も無いと分かっていても声を潜めて確認するドレークに、サファイアは思わず苦笑する。
「そのようね。だけど、今はやめましょう?助けて貰った恩もあるし・・・何より今はプライベートだもの。逢瀬の時を台無しにするのは野暮と言うものではなくて?」
相手にとっても自分にとっても、とは言わないが、それを感じ取ったドレークは小さく噎せた後に、そうだな・・・と同意を示してメニューを取り上げた。
その様子にくすりと小さく笑みを零したサファイアも、ほんのひと時、海軍である己の身分を頭から追いやった。



料理は美味く、店の雰囲気も悪くない。
サファイアとドレークは他愛の無い会話を弾ませながら、確かに今までは海軍だの任務だのと言う日々の雑事を忘れてこの晩餐を楽しんでいた。
手元のグラスからふと顔を上げた向こう、ドレークよりも遠いその場所で、ヴェロニカが席を立ったのに気付く。
偶然居合わせた女海賊の事を、気にしていたわけではない。ただ、その燃え上がるような赤い髪は酷く目立つのだ。良い意味でも悪い意味でも。
それでいて海軍の多いこの街を自由に闊歩するのだから大したものだと思っていると、ドレークが指先でテーブルをコツ、と叩いた。
視線を彼に戻すとドレークが顎で入り口の方を示すので、サファイアもそれと無く振り返ってみると、そこには良く見慣れた海軍の制服を身に纏った男達がいた。
出迎えたボーイになにやら見せているのは間違いなく手配書だろう。
食後酒まで終えたところで本当に良かったと、思う。
「ドレーク、彼をお願い」
「助けるのか」
たった一言だけで全てを察してくれる彼の聡明さに、サファイアは笑んだ。
「ええ。恩を受けたままでは次に会う時に躊躇いが残りそうだから」
律儀な彼女の性格を良く理解しているドレークも、それ以上は何も問わず、また咎める事もせず、さり気なく席を立つ。
手早く身支度を整えたサファイアも、鞄を手にヴェロニカが向かったのであろう化粧室へと足を向けた。
化粧室の扉を開くと、丁度洗面台の前にその姿が見え、サファイアは何故かほっと息をつく。
「良く会うね」
そう言って笑ったヴェロニカに、サファイアは微笑みを返す暇も無く、彼女を再び個室へと追いやった。
「海軍が来ているわ。きっと貴方を探していると思うの。ここは私に任せて」
説明は少なかったが海軍と言う言葉だけで全てを悟ったらしい彼女は、大人しくサファイアの言われるがままにドアの後ろに身を潜ませる。
「連れがまだ向こうにいるんだ」
小さくそう告げる声に、サファイアも小さな声で大丈夫だからと返すと、それ以上の言葉はなかった。
彼女が気配を消すと同時に化粧室の扉がノックされ、声が響く。
「失礼します!海軍の者です!こちらに手配書の海賊がいるとの情報があり、中を確かめさせていただきます!」
ここが女性用で、相手は男ばかりで出動してきたせいだろう。中にいるかも知れない一般人の為に声を張り上げている。
相手が扉を開けるよりも先にサファイアが扉を開くと、その姿を目にした海兵が驚いたように目を見開いた。
「サファイア准将!このようなところで・・・」
「非番の私がここで食事していてはいけないかしら?」
相手は一般の海兵で、それは制服を見れば直ぐに分かる事だったから、サファイアは申し訳ないと思いながらも少しだけ口調を強くした。
「はっ!・・・いいえ、問題ありません!」
自分よりも上の立場にあるサファイアの思いがけない出現に、すっかり萎縮した海兵はその場で律儀にも敬礼を取り、首を横に振る。
「任務ご苦労様。中には私以外誰もいないから、他をあたった方がいいわ」
そう言って半身をずらし、少しだけ化粧室の中をその男に確認させる。個室の扉は閉めてはいなかったから、確かに中にはサファイア以外、誰もいないように見えるであろう。
「はっ!ありがとうございます!それでは失礼します!」
さっと中に視線を走らせてサファイアの言葉通り人がいない事を確認した海兵がもう一度、上官である彼女に向かって敬礼をし、他を探しに走り去って行くのを確認して、サファイアは扉を閉めた。
「もう大丈夫よ」
気配が遠ざかって行くのを感じながらサファイアが声を出すと、個室の扉の裏からゆっくりとヴェロニカが姿を見せる。
「まさかあんたも海軍だったとはね。いいのかい?私を匿うような真似してさ」
サファイアが海軍で彼女の敵だと分かった今でも、ヴェロニカが微塵も緊張した様子を見せないのは、互いに戦う意思が無いと分かっているからなのだろう。
「あら。私は助けてもらった恩を返しただけよ。それに聞いていたと思うけど、私は今日は非番なの」
しれっとそう言うサファイアに、ヴェロニカは笑う。
「それはそれは・・・助けておいて良かったね。まあ、あんたなら助けも必要なかったんだろうけど」
准将ともなればあの程度のゴロツキなど相手にもならなかったのだろうが、助けた事でこうして一度は見逃してもらえるのだから運が良かったと。
「ふふ。でも余計な手間をかけなくて済んだのだから感謝しているわ」
サファイアがそう笑いながら手鞄から小さな電伝虫を取り出す。
「連れって言うのは貴方の良い人?」
今頃はドレークがその身柄を保護しているだろう不死鳥と呼ばれるその男の事を、分かってはいたけれど尋ねてみると、思いがけない言葉に驚いたような表情を見せたヴェロニカは、微かに耳を赤くした。
「ああ・・・いや、まぁ・・・」
予想外にももごもごもと口篭ってしまった彼女に思わず笑みがこぼれる。
「手配書は間違ってはいないみたいね」
失礼かとは思いながらも可愛らしいとすら思えるその反応に、肩を揺らしながらサファイアはドレークの電伝虫を呼び出す。
「・・・あの手配書、書き直してくれないかな・・・」
「私の一存でどうこうできるものじゃないわ。・・・ああ、ドレーク?こちらは無事よ。そっちはどう?」
気まずそうに首筋を撫でている彼女を横目にドレークと連絡を取ったサファイアは、互いの安否の確認を済ませると手早く合流の段取りを取ったようで、電伝虫を鞄にしまいながらヴェロニカに声をかける。
「行きましょう、裏口で待っているわ」
先行しているドレークが口を利いていたのだろう。サファイアの後に続いてあっさりと裏口から店を出れば、そこには二人の男が女達の到着を待っていた。
既にこの店には海賊の姿は無いと踏んだのだろう。海軍の気配も今は遠い。
「無事だったか」
その言葉をどちらにかけたのかは分からなかったが、女達の姿を認めたドレークが声をかける。
「まさか、海軍に助けられるとは思ってもなかったない」
小さく息を吐いた不死鳥の腕が、さり気なくヴェロニカの身を引き寄せるのを見て、サファイアはまた笑みを浮かべた。
「行ってちょうだい。次に会った時は見逃せないわ」
海兵達が戻ってくる前に、と告げるサファイアに、ヴェロニカがニヤリとした笑みを向ける。
「礼は言っておく。ありがとう。それから、デートの邪魔をして悪かったね」
サファイアの連れが男だった事を知った彼女の意趣返しなのだろうか、そう言ってさっと身を翻したヴェロニカは次の瞬間にはその姿を麒麟へと変えていた。
「まあ・・・綺麗ね」
まるで海底に咲く赤珊瑚のようにキラキラと輝く鱗を纏った真紅の麒麟の姿に、思わず感嘆の声が漏れる。
サファイアに寄り添うドレークが無言なのは、その姿に見惚れているからではなく、ヴェロニカが最後に言い放った言葉のせいだろう。
炎のように波打つ鬣と尾を一振りして空中へと躍り上がった麒麟に半歩遅れて、青い不死鳥が宙に舞うのを見送って、サファイアは未だ憮然とした表情で二人の後姿を見続けているドレークの腕を軽く叩いた。
助けてやったのにあのような揶揄の言葉を受けるのは心外だと言わんばかりの表情に苦笑する。
「さあ、私達も戻りましょう?食い逃げなんて示しがつかないわ」
市民にも部下達にも、と告げて店へと戻るサファイアを追いかけて店へと踏み出したドレークはもう一度だけ空を仰ぎ、赤と青の点がだいぶ小さくなったのを確認した。
明日の報告書にはきっと、久しぶりの高額賞金首を捉え損ねたと、書かれている事だろう。
「思っていたよりも、気持ちの良い人達だったわね・・・と、ドレークそれは?」
店内に戻る途中で、サファイアはドレークの手にいくらかのベリーが握られている事に気付く。
「ああ・・・不死鳥に渡されたんだ。食い逃げする気はないのだ、と」
「随分と律儀な事ね」
海賊らしからぬ行為ではあるが、そう言う性分なのだろう。それにしても随分額が多いようにも思うが、二人とも見かけ以上に大食漢だったのだろうか、とサファイアが首を捻るのを見て、ドレークが微かに肩を揺らした。
「余った分は迷惑料にくれるそうだ。どこかで飲み直さないか、サファイア」
「あら、素敵ね」
もちろんその申し出をサファイアが断る筈もない。夜は長く、明日は非番だ。



邂逅の贈り物




思わぬ人物との出会いも、彼の誘いも、サファイアを上機嫌にさせるには十分に好ましいものだ。



ちはやさん宅のサファイアさんをお借りしました。
ヴェロニカと同じくらいの年でありながらヴェロニカとは全く違った雰囲気を持つお嬢さん。
凄く・・・美味しいです!!
あと、凄く楽しかったですありがとうございます!
本能の赴くままに書かせていただきましたが、偽者になってなければいいなぁと思います。
勝手ながらちはやさんに押し付けます!←
by.盈
20120413