桐生一馬の受難・2




その日、遥に頼まれて街まで買い物に来ていた桐生は、琉球通り沿いのコンビニの辺りでそわそわと落ち着きの無い挙動を繰り返す少年を見つけた。
その少年にどこか見覚えのある気がして思わず足を止めて彼の様子を見ながら記憶を探っていると、不意に思い出す。
最初はハンバーガーショップの前で。そしてその次はキャバクラ『フローレス』の前で。
まだ二度しか彼とは関わった事はないが、妙に桐生の記憶に残っている、恋多き悩める少年だ。
何やら頬を赤く染めてぼんやりと遠くを見つめるその様子からすると、またどこかの女性に恋心を抱いたのだろう。
声を掛けるべきかどうか迷ったのだが、正直、彼の恋の行方などどうでも良かったし、また彼に恨まれるような結末を迎えでもしたら面倒だと思い直した桐生は、そのまま彼の横を素通りする事に決めて再び足を動かし始める。
「ああ・・・素敵だなぁ・・・きっと内地の人なんだろうなぁ・・・東京の人はみんなあんなに綺麗なのかなぁ・・・」
だが、正にその横を通り過ぎようとしたその瞬間、彼の口からそんな言葉が聞こえてきて、桐生は思わず足を止めた。
「おい、」
何故だか妙に嫌な予感がして咄嗟に声を掛けてしまったが、少年はそんな桐生の姿に気付くと、あっ!と声を上げた。
「あ、あんたは!・・・なんだよ!また僕の恋を邪魔しに来たのか!」
その気は無いのだが、二度も桐生の登場で相手の女性に振られてしまった少年にとって、彼は恋路を邪魔する厄介な男でしかないのだろう。
酷く嫌そうな表情を浮かべる少年に、それでも桐生は先程の言葉が引っかかる。
「別に、お前の恋愛を邪魔したくてやってるんじゃない。それよりも、また良い女でも見つけたのか?」
尋ねてみると先程までの険しい表情が一遍、恋に浮かされたような蕩けた表情に変わり、少年は饒舌に語り出す。
「さっき、道を聞かれたんだ。かりゆしアーケードまで行きたいって。綺麗な茶色の髪をしてて、なんだか良い匂いもした気がする・・・!もう一度会いたいなぁ・・・。東京から旅行で来たって言ってたけど。そうだ!アーケードまで行けばまた会えるかも知れない!」
最早桐生がいる事をすっかり忘れたかのようにそう口にした少年は、言うや否やアーケードの方向に向かって走り出していた。
「あ、おい・・・!」
もう一度会いたいと言う願いを実現すべく走り出した少年を、桐生は慌てて追いかける。
このまま少年を追いかけていけば間違いなく厄介な事に巻き込まれるだろうとは思うのだが、何故だろう。このまま少年を放っておいてはいけない気もする。
「いた!」
前を走る少年が目的の女性を見つけ出してしまったようで、そう叫ぶのを聞くと同時に彼の目線の先に目を向けた桐生は、ぎょっとして足を速めると少年を捕らえた。
「何するんだよ!離せよ!」
「ちょっと待て、お前が言っている女性と言うのはあの女の事か!?」
桐生の腕から逃れようともがく少年を押さえつけながら訪ねる桐生の視線の先には、彼も良く知っている女の姿があった。
まさかその女が沖縄に来ているとは思わなかったが、今はそんな事はどうでもよい。
「そうだよ!だから離せよ!あの人が行っちゃうじゃないか!」
喚き続ける少年を余所に、桐生は深い溜息をついた。
どうして彼はこうも、ハードルの高い女性にばかり次々と惹かれて行くのか、と。
かりゆしアーケードの入り口辺りの土産物屋を覗き込んでいるその女は、どう足掻いても少年には手が届かないような人間で、もっと言ってしまえば。
「彼女はやめておけ。あの人はもう結婚もしてる」
その言葉に少年はもがくのをやめ、驚いた顔を桐生に向けてから女の方へと視線を向ける。
暴れるのをやめて大人しくなった少年に、どうやら今回は声を掛ける前に諦めてくれたらしいと、桐生が安堵したのも束の間。
「それでも僕はあの人に恋をしたんだ!僕の思いを知ったら彼女も旦那さんとの離婚を考えてくれるかもしれない!」
桐生の腕の力が弱まった隙に自由を取り戻した少年は、桐生の制止を振り切って再び彼女に向かって走り出していた。
「おい!!」
一体どこをどうやったらそんなにポジティブな考えに至るのだと問い詰めたくなるような台詞を残して駆けていく少年の後を追いかけながら、桐生は頭が痛くなって来たように思った。
「お姉さん!」
店先に並ぶ商品を未だ眺めていた女に駆け寄った少年が早速声を掛けると同時に、桐生も声を上げる。
!すまない、そいつの事は無視してくれ!」
ほぼ同時に二人の人間から声をかけられた彼女は、何がなんだかわからないと言った表情で二人の方を振り返る。
「どうしてそう何度も僕の恋路を邪魔するんですか!」
追いついて来た桐生に食って掛かるその覇気を、どうして一番最初の時に発揮できなかったのかと、桐生は若干うんざりする。
「あら、桐生さん!奇遇ですね、こんなところで。こちらの方は・・・あら、もしかしてさっき道を教えてくれた子?」
先程はありがとう、と柔らかな笑みを浮かべた彼女に、うっとりとした表情を浮かべた少年が、桐生が口を開くより先に言葉を発していた。
「僕、お姉さんに恋をしてしまったんです。お願いです、僕と付き合ってください!」
突然の告白に驚いたように目を見開く彼女に、桐生は額に手をやってやれやれと頭を振る。
見知らぬ少年から想いを告げられた彼女はやや暫く固まっていたが、やがて困ったように笑みを浮かべて言った。
「ごめんなさいね。気持ちは嬉しいけれど、私もう結婚してるの。旦那様がいるのよ」
そう言って掲げられた左手の薬指に光るリングに目をやる少年を、それ見たことかと言わんばかりの表情で見やりながら、今度は桐生が彼女に声を掛けた。
「一人なのか?兄さんはどうしたんだ?」
「吾朗さんったら、昨夜泡盛を飲み過ぎちゃって。朝起きれそうになかったからホテルに残して私だけお土産を探しに来たんです。かりゆしアーケードに行くってメールはしてきたんですけど・・・」
苦笑いを浮かべて言う彼女に、桐生は思わずほっと胸を撫で下ろした。
こんな厄介な場面をあの男に見られでもしたら、きっともっと厄介な事になるに違いない。
なんだかこんな思いを前もした事があるような気がする、と桐生がデジャヴを感じたのも束の間、呆けたように彼女の指輪を見つめていた少年が再び口を開いた。
「そんな、奥さんを放ってお酒ばかり飲んでいるような男なんてやめて僕にしませんか!」
の言葉を都合の良いように解釈してそう言い縋る少年に、桐生はどこか尊敬の念すら抱く。
まさかそんな風に自分の言葉を湾曲して理解されるとは思っていなかったも、ますます困ったような表情になったが、それに気付かない少年は更に熱く自分の思いを口にする。
「僕、お姉さんを見た瞬間にビビッと来たんです!絶対お姉さんが僕の運命の人だって!僕だったらお姉さんを泣かせるような事はしません!だから、旦那さんと別れて僕と付き合ってくれませんか!」
人間どこまでお目出度くなったらこんな台詞が吐けるようになるのかと、最早桐生は溜息を隠そうともしない。
そもそも彼女は泣いてなどいないと言うのに。
「誰が誰を泣かして別れるんやって?」
次の瞬間、聞き慣れた声と共に桐生の肩に重みが加わり、再び強いデジャヴを感じた桐生が振り返る。
「なんやこのボウズ?」
桐生の肩に腕をかけてに言い寄っている少年を見やる真島の姿を見て、桐生はでかしたとばかりに心の中で拳を握った。
熱い沖縄にていつものジャケットを羽織っていないのは予想していたが、真島はこちらのファッションに合わせたのか、派手なアロハシャツを纏っている。
しかしながらいつものジャケットのようにそのシャツのボタンは全開で、例の派手な模様がちらちらと見え隠れしているのだから。
「な、なんですか、この人は・・・」
見た目的にも威圧感バリバリの、眼帯に刺青を背負った男の登場に少年の勢いが挫かれているのが目に見えた桐生は、可哀想だが引導を渡してやろうと口を開く。
「この人が彼女の旦那だ。これで諦めがついただろう。分かったらもう行け」
どこからどう見てもその筋の人だとしか思えないような真島の姿に、すっかり青くなった少年は桐生の言葉に踵を返して走り去って行った。
去り際にか細い、上擦ったような声で「極妻」と聞こえたような気がしたが、聞こえなかった事にしておこう。
「なんやったんや?」
今回は本当に、今しがた姿を現したらしい真島が状況を全く理解できずに首を捻るのを、と桐生は顔を見合わせて苦笑いを浮かべてうやむやにしてしまうしかなかった。
「ところで吾朗さん、ここまでその格好で来たんですか?ちょっとは回りを気にして下さいよ・・・」
「せやかてこないに暑いんやで!ええやないか!」
「駄目です。私が困ります。そんな格好じゃ一緒に歩きませんからね!」
嫌がる真島を余所に無理矢理彼のシャツのボタンを閉め始めた彼女に、桐生は笑みを浮かべる。
(なんだかんだで上手くやってんだな)
あの少年も、良く彼女をこの男から奪えるだなどと大胆な思いに至ったものだ。と感慨に浸る桐生は、ふと思い出して声を上げた。
「ところで、二人ともいつこっちに来たんですか?来るなら来るって教えてくれれば良かったものを」
「桐生チャンを驚かしたろ思うてな〜!せやけど、譲ちゃんにはちゃあんと伝えてあるんやで?」
「なんだと?」
「今日の夕飯も一緒に食べよなってお誘いも貰とるで。なんやったっけ、アザラシ・・・?」
「アサガオです」
施設の名前をとんでもない方向で間違える真島を正したが、申し訳なさそうな顔で桐生を見る。
「突然でごめんなさい。ちゃんと桐生さんにもお話した方がいいとは思ったんですけど・・・。吾朗さんと遥ちゃんですっかり桐生さんを驚かす方向で盛り上がっちゃって」
それでか。と桐生は一人ごちる。
今日の買い物がアサガオの人数分よりも多かったのは。
アサガオで桐生の帰りを待っているしっかりものの少女の、悪戯な笑みが見えた気がして、桐生は小さな溜息をついた。
伝説の元極道、桐生一馬の苦労はまだまだ絶えない・・・。



サブストーリー系のお話で書くのが意外と楽しい。
20130129