そう、例えば。
例えばだけど、もしこの首を取られるような事があるならば。
その相手はこの船の誰かがいい、なんて。



その首、売約済みにて




海の上の夜明けは早い。
水平線に顔を出した太陽は遮るものが無く、余すところなく水面をキラキラと照らす。
この船では上下の関係なく誰もが当番制で見張り台に立つ。
16番隊隊長とてそれは例外ではなく、寝ずの番にあたっていたイゾウは込み上げた欠伸を隠す為に口元に優美に手を添えた。
太陽が上がりきってしまえば交代の時間だ。あと僅かの辛抱。
朝から襲撃してくる海賊船と言うのはあまり無いが、念の為にと首を巡らせると遠くから羽ばたいてくる一羽のカモメを見つけた。
大きな鞄を首から提げているそのカモメは新聞を売って飛んでいる。
この船で新聞を読むという殊勝な行動をする人間は少ないが、イゾウは機会があれば読む方だったので、手を振って合図しカモメを呼び寄せた。
買った新聞を捲ると世界の様々な出来事や事件が載っている。
その中でふと目に入った写真にイゾウが思わず笑みを浮かべたその時、梯子を上ってくる気配を感じ振り返ればビスタが上がってきていた。
「なんだ、交代はビスタだったのか」
隊長格が連続でご苦労なものだ、と互いに苦笑する。
「なぁ、コレ見てくれよ」
交代の前に広げた新聞を見せてやれば、ビスタも「ほう」と面白そうに零して笑った。
「ちょっと皆にも見せてくる」
「ああ、それがいい」
短く言葉を交わして、イゾウは新聞を小脇に挟むと梯子を下って行った。
見張り台を降り真っ先に向かったのはオヤジの元。
丁度良い事に、そこにはマルコとサッチの姿もあった。
「おう、どうした」
入ってきたのがイゾウである事を確認した白ひげは大きな笑みで彼を出迎える。
「見てくれ、コレを」
既に開いていた面を差し出すと、まずは白ひげがそれを眺めニヤリとした笑みを浮かべ、それをマルコに投げてよこした。
何事かと首を傾げながら新聞を広げたマルコの後ろからサッチも紙面を覗き込む。
「これは…」
そこに大きく印刷されていたのは、良く見知った女の顔。
「情報が早い事だ」
イゾウが言うとマルコもそれに同意する。
「全くだよい。もう賞金までかけられてるのか」
グラララ、と白ひげが笑う。
「もともと目ェつけられてたんだ。いい口実をくれてやっちまったようなもんだな」
紙面には、最近この白ひげの『娘』となった少女の写真。彼女が白ひげの一味になった事、『じゃじゃ馬』と呼ばれていた事などが事細かに記事になっている。
そして最後の方では政府が彼女の首に賞金をかけた事も記されていた。
「それにしてもイキナリ億越えかよ。さすがだなァ」
サッチが顎を撫でながら感嘆の声を上げた。
もともと『じゃじゃ馬』と言う名を轟かせていた上に今や白ひげの0番隊隊長となった彼女の首にかけられた賞金額は丁度、1億。
ネームバリューがあるとしてもなかなかの破格だ。
とその時、外が俄かに騒がしくなり、何事かとドアを開けて確認したイゾウは中の三人に向かってニヤリと笑ってみせた。
「ご本人のご帰還だよ」
仲間の帰りを歓迎するクルー達の声を聞きながら噂の彼女の登場を待つ。
甲板でクルー達に任務のついでに持ち帰った土産を配る0番隊の仲間から外れ、報告の為に彼女がこちらへやってくる。
「よう、1億ベリーの女!」
サッチがそう茶化してやると、は全く迷惑だと言わんばかりの表情でサッチを見た。
「もう見たの?」
尋ねながら彼女が広げるのは新聞ではなくて手配書。彼女は戻ってくる前にどこからか自分の手配書を手に入れていたらしい。
「オヤジ、ただいま!」
そう言いながら部屋に入ってきた娘の姿に、白ひげも笑みを返す。
「美人に撮れてんじゃねェか!」
渡された手配書に目を向けて笑う白ひげの姿に、彼女は肩を竦める。
「注目するところはそこなの?」
飽きれた、と彼女が溜息をつくのを彼らは笑いながら見ていた。



夜が更ければ甲板はあっと言う間に宴会場に早代わり。
ところ狭しと並べられる料理とあちこちに転がる酒樽、酔いつぶれたクルー達。陽気に歌を歌う男達と、それを見て艶やかな笑みを浮かべる0番隊の女達。
「それではー!無事に初任務を終えた『ゼロ』の帰還との『賞金首への昇格』を祝ってー!」
サッチの大声が響き渡る。
「カンパーイ!!」
男達の声が重なりあちこちでジョッキをぶつけ合う音がする。
「何がめでたいんだか」
仲間達が楽しそうなのはいいが、これで海軍の連中がなんの躊躇も無くこの首を狙ってくるようになる。
海賊ではないと言う事とただの小娘だからと言う事で、お目こぼしされていたのが無くなるのだ。もう昔のように奔放はできないのだと、は溜息を零した。
「まァ、実際気をつけろい。これからは海軍だけじゃなく賞金稼ぎや人攫いにも狙われるようになる」
「スリリングな人生ね」
隣に腰を降ろしたマルコを見る事無く抑揚の無い声で答えれば、彼が苦笑したのがわかる。
この細首一つになんともご大層な事だ。
海軍や賞金首が狙ってくるのは解るが、人攫いにまで狙われるようになるとは。
白ひげの娘、しかも能力者であれば、きっと彼女を欲しがる連中は山といるだろう。人を人とも思わないコレクターがこの世界には存在する。
幻獣種の能力を持つ白ひげを背負った女、は良い値段で取引されるに違いない。
「でもまぁ、退屈しなくていいかもね」
ニヤリと笑えば、元々の彼女の気性を知るマルコが肩を竦めた。
「ほどほどにしておけよい。お前が誰かにとっ捕まったらオヤジも皆も黙ってねェよい」
家族を奪われて黙っているような白ひげ海賊団ではないのだ。
「マルコも?」
「ん?」
「マルコも助けに来てくれる?もしあたしが捕まっちゃったら」
思わずそう言ってしまってから、しまったと思ったが音になってしまった言葉は取り消せない。
なんの他意もない、と言う態度をなんとか貫くしかなかった。
くしゃり、と頭を撫でられ、その手の重さに耐えかねたフリをして俯ききつく目を瞑る。
「当たり前だろい。おれだってお前を捕られて黙っちゃいねェよい」
ポンポン、と頭を撫でられてその手が離れるのを、何故か物足りないと思ってしまう。
頭に触れられる事は嫌なはずなのに、その手が離れていってしまうのを残念だと思うなんて。
「オヤジやマルコに迷惑かけるわけにはいかないからね。せいぜい気をつけるよ」
ピンチを助けてもらうなんていうロマンティックな状況も嫌いではないが、何よりそんな手間と危険を仲間達にかけさせるわけにはいかない。
能力者といっても無敵ではないのだ。十分に注意する事にしよう、と肝に銘じる。
「でもそうだなぁ。もし、この首を取られるような事があるなら」
するり、と己の首を撫でたその手が妙に色っぽく見えて、マルコは一瞬その仕草に目を奪われた。
「最期の時はマルコに取られたい」
それが何かの比喩であるのか本気でそう思っているのか、その言葉の意味を量りかねて、マルコは複雑な表情で彼女を見つめた。
見られている事に気づいたがはっとしてマルコの方を見る。今度は平静を装う事ができなかった。
「あ、今の、冗談!気にしないで!」
再びうっかりと口を滑らせてしまった事に今更ながら気付き、ぶんぶんと両手を顔の前で振る。
「お前な、冗談でもそんな事言うなよい。お前の首なんて、欲しくねェよい」
彼女の最期なんて。この世界から、自分の世界から消えてしまう事なんて考えたくない、と。
「コラー!!今日の主役がそんな隅っこで飲んでるんじゃねえー!」
丁度その時サッチの大声が聞こえて、彼女は苦笑しながらも助かったと立ち上がった。
「い、行ってくるね」
微かに赤くなっているであろう顔を隠すようにさっと身を翻す。
今が夜で良かったと心から思った。
うっかりと口を滑らせてしまったが、きっとそれは本心。
最期の時は、惚れた男に傍にいて欲しい、と。



20100808