お前がそうやって、悲しそうに笑うのも。
お前がそうやって、幸せそうに微笑むのも。



リチウム




「ねぇ、郡司。本当に本気なの?」
困ったような、それでいて嬉しそうな、そんな表情をする彼女が愛しくて堪らない。
もちろん槌矢は、そのつもりでここに来ている。本当に本気なのだ。
「ここまで来てイヤダはないっスよねぇ?」
何もなくなってしまったその部屋の鍵を拾って手に握り締める。
「もうイヤなんスよ、俺も。何ヶ月も平気で会えないのも、そのせいでに悲しい顔させんのも。ねぇ?」
全部自分の所為なのだと、槌矢は思う。
久し振りに会って笑ってくれるのも、長い間会えないで寂しそうな顔をするのも。
「どのみち、この何も無い部屋じゃ生活なんてできっこないでしょう?」
彼女の荷物は…と言うより、家財道具から何から一式、既に飛行機で遠いお空の上だろう。
「強引過ぎるわ、郡司」
困ったように言いながらも、彼女は嬉しさを隠し切れずに笑みをこぼしているから、己の行動は間違ってはいないのだと、槌矢は思う。
「ねぇ、俺が帰る場所にがいてくれたらスゴクいいと思いません?アンタだって、毎日部屋に俺が帰ってきたら嬉しいと思いません?」
「敵わないわ、貴方には。その通りね」
肩をすくめて降参の意を示す彼女の腕をしっかと握って。
「それじゃ、早速行きましょうかねぇ。飛行機に間に合わなくなりますから」
次から次へと全く手際の良いことだ。一体どこまで計算ずくなのか。
だけど、は逆らえない自分が嫌いじゃないし、強引に事を進める槌矢が嫌いじゃない。
なんだかんだ言って会えない時間の方が長いのは事実だ。
それでも、こうして状況を変えるためにわざわざ博多からここ、大阪までやってきてくれたと言う事は、愛されているのだと自惚れてもいいのだろうか。
そんな事をぼんやり考えていると、捕られた腕を強く引かれた。予期せぬ行動に、はあっさり槌矢の腕の中に納まる。
「待たせて悪かったな…」
たまにしか見せない本気の槌矢の言葉。
普段も本気な事はあるのだが、それはいつも隠されてしまうから。
耳元で囁かれた本気の言葉に強く彼を抱き締め返す。
それから二人は部屋のキーを管理人に返して、タクシーを捕まえ伊丹空港へ。
飛行機のチケットすらあっさりと手に入れた槌矢に、は飛行機の中で尋ねた。
「一体いつから計画していたの?こんな事」
槌矢は少しだけ苦笑して、それから繋いだ彼女の指を弄びながら応える。
「J1に昇格したら…アンタを連れてこようって…ずっと決めてたんスよ」
はくすぐったそうに笑って、槌矢の指に己の指を絡めた。
「嬉しい事言ってくれるのね、郡司」
がそうやって嬉しそうに笑ってくれるのも、寂しそうな顔すんのも、全部俺の所為でしょう?アンタはそうやって俺の所為で笑ったり泣いたりしてるけど、俺はアンタの所為で悲しんだり喜んだりって、なかったと思うんスよ。いつも俺が、サッカーを優先させていたからスけどね。だからこれからは出来る限り、アンタに悲しい顔はさせたくないんスよ」
俺の気持ち、分かってくれます?と、槌矢は彼女の顔を覗き込む。
「もう充分だわ、郡司。貴方の気持ちは有難いくらいに感じているわ」
本当に嬉しそうに彼女が微笑むから、槌矢は愛されていると、自惚れてもいいのだろうかと思う。



「ねぇ郡司、私は愛されていると自惚れてもいいのかしら?」
「なぁ、俺は愛してもらってるって自惚れてもいいスかねぇ?」



二人の声が被れば、お互いに小さな声で笑うより他はなく。
「サッカーの事もの事も、本当に大切なんスよ。本当に」
槌矢が告げれば、彼女も囁く。
「貴方のサッカーへの情熱も、私への愛情も、私は充分に知っているつもりよ」
互いに、愛されているのだと改めて感じた二人は、回りの目を盗んで軽いキスを交わす。



20100621加筆修正