冥王と炎駒




人間屋(ヒューマンショップ)から悲鳴と共に大勢の人間が飛び出してくるのを見て、は溜息をついた。
全く。今は面倒事には巻き込まれたくないと言うのに、あちらさんの方はそんな彼女の思惑など全く無視のようだ。
彼女の探し人がここにいると言う情報を聞きつけ、さてどうしたものかと様子を伺っているうちにこの騒ぎだった。
足の下で起きている騒ぎを眺めながら海軍に見つからないよう木々の陰に隠れて様子を伺っていると、数匹のトビウオがまたショップに突っ込んで行った。
「ああ…これはもうしっちゃかめっちゃかね」
盛大に溜息をついてからその額に角を生やす。いつ何があってもいいように体勢だけは整えて、相変わらず下を見下ろしたまま静観を決め込んでいた。
暫くしてから建物の中から外にまで漏れ出すような覇気を感じ、やはり探し人が中にいたようだと確信する。
既に一般人が出払った建物の周りを海軍が取り囲む中、入り口の方で動きがあったようで、も目を凝らした。
姿を現したのは億超えのルーキー達。しかも船長ばかりが三人も。
「ん?あれは…」
その中の一人、麦わら帽子をかぶった少年の事は彼女も知っている。
彼女の仲間、エースが良く彼の話を聞かせてくれていた。
「あれがエースの弟ね」
彼の弟がそこにいると言うのなら、そして彼女の探し人もそこにいると言うのなら、やはりここは多少なりとも加勢してやらねばなるまいと、包囲網の薄めな場所を探して上空から建物の屋根の上に降りた。
なにやら言い合いをしているらしいルーキー達に迫撃砲が襲いかかるが、そのどれ一つとして彼らに傷を負わせる事は出来ていない。
各々が勝手に戦いを始める中で、は意識を集中させた。額の角に小さな雷を集め、次の瞬間には海軍の中へと数本の雷柱を叩き込む。
「な、なんだ!?」
慌てふためく海軍はもちろん、ルーキー達も突然の雷に上空を見上げた。
巨人族の力を使ってすっかり背丈が縮んでしまったルフィからは視線外だったようだが、キッドとローの二人はその姿を捉えていた。
「あれは…」
燃え盛るような赤い髪の女が建物の屋根にいるのを見つけたローがその不機嫌そうな顔を更に歪ませ、キッドはニヤリと唇をつりあげた。
「なんでこんなところに『炎駒』がいるんだ、オイ?」
最強と謳われる海賊、白ひげ海賊団の隊長である彼女の事を、もちろん二人は知っている。
その彼女がよもやこんな騒ぎの場所に顔を出してくるとは思わなかったが、その意図を考えても今は無駄なので二人は再び目の前の敵に集中した。
適度に海軍をその雷で再起不能にした彼女は、出口から出てきた冥王の姿を見つけてその隣に降り立った。
「レイリーさん…!」
喧騒の中で声をかければその男はここが戦場である事を忘れているかのような笑みを浮かべる。
「おお!キミか!まさかこんなところで会うとはな!」
魚人を担いだままのレイリーは言いながらも脚を止めない。
「私だってこんなところで会いたくは無かったですよ。貴方を探して来てみればこんな事になっているんですからね」
チクリと嫌味を込めて言いながらもレイリー達を守るように雷光を閃かせながら後に従う。
「わははは!手間をかけさせてすまんな」
全くすまながっているようには見えないレイリーに肩を竦めながら、海軍の包囲網を抜け出した。



無事にシャクヤクの店まで辿り着けば、麦わらの一味も全員が無事に戻っていたようで、直ぐに魚人の手当てが為される。
その間、は店の隅の椅子に腰掛けて一言も口を開かなかったが、彼らの話題がシャンクスの話になるとピクリと肩を揺らした。
それに気付いたシャクヤクがにこりと笑い、そしてレイリーは言う。
「そこの彼女は彼の妹だ」
その言葉に店には大きな悲鳴が響き渡り、は思わず耳を塞いだ。
「それを今ここで言わなくてもいいでしょう、レイリーさん」
余計な事をとでも言いたそうにレイリーを睨むが全く動じていない。
「シャンクスに妹がいたなんて、おれ知らなかったぞ!!」
ルフィが叫べば、ロビンも口を開く。
「私も…白ひげの『炎駒』が赤髪の妹だったなんて知らなかったわ…」
「ええーー!?!?コイツ白ひげ海賊団なのか!!」
白ひげ海賊団と言えば彼の兄であるエースが身を寄せる海賊で、その名を久し振りに耳にしたルフィが再び声を上げた。
「もう、私の話は置いておいてちょうだい…」
溜息をついてシャクヤクが入れてくれた紅茶のカップに口をつけるが、ルフィの方は彼女を放っておかなかった。
「なぁなぁ!お前エースを知ってるだろう?エースは元気か!?」
「ええ、元気よ。貴方の話を毎日嫌ってくらい聞かされているわ」
無邪気に尋ねるルフィに、彼女はさらりと嘘をついた。



それ以上は何も話したくない、と顔を背けた彼女を置いて話は進み、船のコーティングを決めた彼らは再び別行動をする事となった。
コーティング作業に必要な荷を背負ったレイリーが店を出るのを見て、も席を立つ。
「シャクヤクさん、ご馳走様でした」
空になった紅茶のカップを彼女に戻すと、ニコリと微笑まれ。
「今度は噂の彼も連れてきてね」
ウィンク付きで言われての頬が微かに赤くなる。
「はァ…まァ、機会がありましたら…」
レイリーもそうだが彼女にも勝てないなぁ、などと思いながら先に出たレイリーの後を追う。
「レイリーさん」
先を歩く彼に追いつき声をかける。
「まさかキミが直々に来るとは思わなかった。キミの不死鳥は元気にしているか?」
からかうようなその言葉に視線を逸らしながら肩を竦める。
「なんで私に聞くんですか」
「キミが一番良く知っているだろう。彼の事は」
意地の悪い笑みを浮かべるレイリーと並んで歩きながら応える。
「まあ、元気ですよ。変わりありません」
そう言うとレイリーは肩を揺らし声を上げて笑った。
「『キミの』ってところは否定しないんだな」
さり気なくスルーしたところを突いてくるので、彼女は先程よりも顔を赤く染めた。
「そうやって人をからかうの、レイリーさんの悪い癖ですよ」
「わはははは!しかし妬けるじゃないか。キミみたいなイイ女を独占している男がいるなんてな。私があと二十年若かったらキミを放ってはおかなかったのに」
「シャクヤクさんに言いますよ」
言いながら腰に回ってきた手をするりとかわし。
「それよりもレイリーさん…」
「分かっている。コーティングだろう」
「はい。モビーとそれに付属する三隻、全てのコーティングを」
「全てか。値が張るぞ?」
「オヤジが息子を助けるのに金など惜しむと思っているんですか?」
白ひげを見くびる事は許さないとでも言いたげな瞳をレイリーは真っ向から受け止める。
彼が何者であろうと己がついていくと決めた男を侮辱するのなら容赦はしないといったその表情はレイリーにも覚えがある。
己が惚れ込んだ男を、その誇りを貶められる事を良しとはしない、その心。
「…行くのか、マリンフォードに」
「当然です。オヤジも私達もエースを見殺しになんてするはずがない」
「何故、先程彼等に本当の事を教えてやらなかったのかね?」
エースの弟であるルフィに彼の身柄が今どこにあるのか、本当の事を告げてやらなかった事を尋ねられれば、は視線を遠くへと投げた。
かつてエースが己の弟の事を楽しそうに語りながら、それでも道を違えた事を悔いていなかった、その表情を思い出す。
その気持ちは彼女にも良く理解できた。兄である男とは違う旗を選んだ彼女だからこそ。
彼には彼の、弟には弟の道があると彼は心得ていた。エースの居場所は『白ひげ』の下にあると言い切ったあの時の事。
「これは私達、白ひげ海賊団の戦争です。彼等には関係が無い」
その時、の持っていた小電伝虫が鳴った。
腰に巻いたバッグからそれを引っ張り出せば電伝虫の目が開いて「プルルルル」と着信を告げている。
それに応えれば今まで確かにぱっちりと見開いていた電伝虫の瞳が眠たそうなものに変わる。
電話の向こうの声を届けると同時にその相手の表情まで真似るなんて一体どういう作りになっているのかといつも疑問に思う。向こうの電伝虫がどんな顔になっているかは考えたくもない。
『島が騒がしくなってきた。お前、無事かよい?』
聞き覚えのある声に、レイリーがまた笑みを深くする。
「不死鳥か。随分と大切にされているな」
「色々と、ありましたから」
神妙なその答えにレイリーも笑みを引っ込めた。
息子と兄弟と呼んだ仲間を一人失い、一人は裏切り、一人は海軍に捕らわれている。
彼女を手放しで単独行動させるにはあまりにも不安が大きすぎた。
?』
電話の向こうで心配そうな声を上げた男に返事を返す。
「大丈夫、何事も無いわ。今レイリーさんと一緒にいるから。仕事の話はもう終わった」
そう告げてから辺りに気を配れば、確かにマルコの言うとおりあちこちから戦闘の気配がする。
人間屋(ヒューマンショップ)での騒ぎによって大将達がここにやってきているのだろう。もここに長居するわけには行かなくなってきた。
「ふむ。ルフィくん達が心配だな。私はちょっと様子を見てくるとしよう」
「申し訳ないですが私は行けませんよ。私が何故ここに、貴方に会いに来たか、今海軍に知られるわけにはいかない」
「ああ、分かっている」
エースの弟の安否も気にはなるが、冥王がいるのなら自分など出る幕も無いだろうと思い直す。
『一度戻れ。オヤジも心配してるよい』
その言葉を最後に通信を終えた小電伝虫をしまいこむと、その姿を麒麟へと変えた。
「今度はこちらから連絡しよう。キミ達も、十分に気をつけたまえ」
レイリーに言われては長い首を縦に振り、真っ直ぐ上空へと躍り上がった。
生い茂る木々を付き抜け、その身をうっすらと雲が隠すところまで来てようやく上昇をやめる。
豆のように小さくなったシャボンディ諸島を一度だけ見下ろしてから駆け出した。
やがて薄雲の中に見慣れた青が見えてくる。

「マルコ」
互いの名を呼びながらそれぞれ半獣の形になる。
青い炎の翼が彼女を包み込んだ。
「無事かい?」
「ええ。ヒューマンショップでちょっと雷落としてきたけど…」
その言葉に小さく苦笑いを浮かべるマルコに事情を説明しながら二人は雲の中を飛んでモビーディック号を目指した。
「マルコ…必ず助けようね、エース」
「ああ、当たり前だい」
間違いなく、世紀の大戦となるその戦いを前に知らず身体を震わせた彼女の身体を、マルコは強く青い炎で抱きしめた。



20100923