人間何事も、慣れれば慣れてしまうものなんだろうか

慣れというのは、恐ろしいものだ



ミッドナイト・ランデブーのち心中




久し振りに風に当たりたくなって、は夜も更けようかと言う時刻に愛車を転がして埠頭へとやってきた。
埋め立てが進み、高層マンションが次々と建てられているその横では、イルミネーションも眩しい観覧車がまだ動いている。
この街も、神室町とはまた別の眠らない街であるのだろう。
それでも彼女がバイクを止めた場所は海を臨む公園の隅であるからか、人の気配も無くしん、と静まり返っていた。
エンジンを切ったバイクに跨ったまま、ポケットから煙草を取り出して火をつける。
ふわりと吐き出された煙は、夜の闇にぼんやりと浮かんだ後、風に流れて消えて行く。
「これからどうしようっかなぁ〜」
随分と間延びした声で零した言葉には逼迫感はないものの、どこか投げやりな色を含んでいる。
それもそのはず、は本日付けで長年勤めていた勤務先を解雇されたのだ。
解雇されたと言っても、それは半ば自身の意思も混じっていたから一方的な解雇ではなかったのだが、予想もしていなかった形である事は、先程の彼女の言葉からも伺える。
とは言え、前の職場では十分に稼がせてもらっていたから、直ぐに次を探さなければならないと言うわけでもなく、そんなわけで彼女の言葉はどこか緊張感を失ったものになってしまった。
「そろそろ潮時かなぁ〜・・・」
意味深な言葉を漏らした刹那、突風が彼女を襲い、長い髪を乱されて思わず目を閉じる。
風がやんだ後にゆっくりと目を開けば、その耳に少なくはない足音がして、は首を巡らせた。
「おう、姉ちゃん、こんなところで一人で何やってんだ」
相手もこちらの存在に気付いたようで、粗暴な感じのする声が掛けられる。
静かな場所を求めてこんなところまでやってきたと言うのに、わざわざこんな辺鄙な場所にやって来るなんてどんな物好きだ、と自分の事を棚に上げて思う。
「別に、大した事じゃないですよ」
相手が風下からやってきたのを良い事に、は思い切り煙草をふかしてやった。
残念ながらその煙は相手に届く前に風に消えてしまったが、挑発の意図は感じ取ったのか、男達は彼女の方へと一直線に進んで来る。
普段の彼女ならば無駄に相手を挑発するような事は間違ってもしない筈だったのだが、今日は何故だか気分が浮ついていた。
「男に捨てられでもしたか?」
成る程、傍目には自分はそんな風に見えるのか、と思いつつ男の人数をざっと確認する。相手は、僅か五人程。
「放っておいてもらえませんか」
そんな言葉で相手が引くとも思えなかったがこれが彼女なりの最後の警告だった。これで相手がどこへなりとも消えてくれれば心の奥底に潜む衝動に身を任せる事もないのに。
「そんな冷たい事言うなよ」
だが矢張り男達は、はいそうですか、と引き下がる筈も無く、のバイクに手を付いた。ぴくり、と彼女の眉が跳ね上がる。
「警告はしましたからね」
言うなり、ハンドルにかけていたメットで思い切り、バイクに手をついた男の顔面を殴りつけた。
突然顔面に衝撃を受けた男は、良く分からない声を上げて地面に膝を付く。バイクに跨っていたままのは足を振り上げ、そのまま膝を突いた男の脳天に踵落としを食らわせていた。
不意打ちを食らった仲間の一人が完全に地に伏したのを見た男達が色めき立って彼女を取り囲むが、相手が体勢を整えるより早く繰り出された回し蹴りが男を一人捕らえている。
二人目を蹴り倒した勢いを殺さぬままさらに一人を回し蹴りで叩きのめすと、彼女の後ろに回り込んだ男が、その身体を後ろから羽交い絞めにして勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「このアマ、調子に乗ってんじゃねえぞ」
勢いをつけて殴りかかってこないのは、相手が女だと舐めているからか。
正面からにじり寄ってくる男の股間を、これでもかと言うくらいに自由な足で容赦なく蹴り上げてやった。これで四人目、と心の中でカウントする。
「生憎、このパターンはもう、飽きてるのよ」
急所にもらった一撃で男があっけなく撃沈するのを余所に、背後の男にそう言い捨てると、は男の爪先めがけて思い切り踵を下ろした。
致命的ではないにしても、鍛えようのない箇所に衝撃を受けた男の腕の力が緩むのを逃さず、両手を上に上げ腰を落とした事でいとも簡単に拘束を振り切った彼女はそのまま肘を後ろに振り上げる。
見事に鳩尾に肘鉄をくらった男が呻き声を上げながら地に伏すのを確認した彼女は、両手を払って溜息をついた。
「準備運動にもならないわね」
捨て台詞を吐いたその耳に、また違う男達の声が届いたのはその時だ。
「何騒いどるんや」
まだ仲間がいたのか、と思うと同時に、その声には聞き覚えがあるような気がして、彼女は思わず嫌な予感に身を震わせた。
「お、親父・・・!この女が・・・!」
比較的ダメージの軽かった男が声を振り絞る先を見やれば、思ったとおり、夜目にも目立つパイソン柄のジャケットを纏う男の姿があった。
やってしまった、と頭を抱えたくなったが、既にこの状況はどうにもならない。
足元で呻いている男達を改めてみやれば、その襟元には真島組を示す代紋が確かについていて、どうしてもっと早く気付かなかったものかと、後悔の念に襲われる。
「女ぁ?女ならなんでもええんか・・・あれ程堅気さんにメーワクかけたらアカン言うた、やろっ!」
部下の言葉に呆れたように言い捨てた真島は、だが次の瞬間足元に這い寄ってきた男のその腹に、鋭い靴先をのめり込ませる。
散々叩きのめしておきながらなんだが、真島からの厳しい制裁には思わず同情の念を抱いた。
「エライすまんかったなぁ、部下の教育が行き届かへんで。・・・ってなんや、チャンやないか」
足元で呻き続けている部下を片足で脇に転がしながら改めて彼女を見やった真島が、その正体に気付く。
ここ三、四ヶ月ですっかり彼女の事を気に入ってしまったらしい真島が、地面に転がる舎弟達に目を落としてニヤリと口角を持ち上げた。
「なんや、これ全部チャンがやったんかいな」
「正当防衛ですよ」
しれっと言ってのけたは、何故自分なんかが極道の男と――しかも組長なんて立場の――言葉を交わしているのかと、場違いな疑問を抱かずにはいられない。
一般的にはお付き合いどころか関わり合いになるのもご遠慮願いたい相手とこんな風に会話しているなんて、慣れとは恐ろしいものだ。
「お前らどっか散っとれ。あ、ソレも片付けといてや」
彼女がさっさとこの場から退散したいと思っているのを知ってか知らずか、真島は部下達に人払いを命じている。
この男の唐突さにはもう慣れたものなのだろう。命じられた男達は文句の一つも言わずに倒れた仲間達を引き摺るようにしてどこかへと姿を消してしまった。
は真島の前から退出する機会を失ってしまい、仕方無くポケットから煙草の箱を引っ張り出す。
「いかがですか?」
こうなってしまえば仕方が無いとばかりに煙草を薦めると、真島は遠慮もせずに箱から一本取り出して口に咥えた。
「おおきに」
ニカッと笑みを浮かべた男の煙草に火をつけてやりながら、どうして自分がこんな事をしているのだろうかと言う疑問が頭をよぎるが、考えるだけ無駄だと直ぐに思考を放棄する。
「そう言えば、ジブン、あの会社辞めたんやってなぁ」
ぷかりと煙を吐き出す真島に、肩を竦めて見せる。
「耳がお早いですね」
「実はなぁ〜さっきまで社長さんと飲んどったんや」
それでか、とは一人ごちる。
この男にしては珍しくこんなところに姿を現したのは、彼女が勤めていた社長の接待でか、と。
「そうですか。お仕事の話はまとまったんですか?」
既に彼女にとってはどうでも良い事ではあったが、社交辞令にと問い返すといともあっさりと真島は言い放つ。
「丁重にお断りしてきたところや」
理解ができないと言った表情を浮かべる彼女に、真島は笑みを向ける。
チャンがおらんのにあのオッサンの仕事請けてもしゃあないやんか」
社長さんと呼んだ男を次の瞬間にはオッサンと言い捨てている辺り、彼の思考は全く読めない。
「ジブン、ようあんなタヌキ親父んとこで働いとったなぁ」
彼の中でどんどん格を下げていく社長に思わず苦笑を浮かべ、は煙草を口に運んだ。
「まあ、もうどうでもいい事ですけどね」
既に会社を辞めた身としては、元上司であるその男が真島に仕事を断られた事などどうでも良かったので、ぞんざいな言い方になってしまったが本当の事なので仕方が無い。
そんなあっさりとした彼女の性格が、嫌いではない真島も笑みを浮かべたまま。
「そんで、チャンこれからどないすんのや?」
「そうですねぇ・・・関西にでも戻ろうかな」
おそらく何気なくであろう、問いかけた言葉には予想外の返事が返ってきて、真島は驚きの表情を隠しもせずに彼女を見やった。
「なんや、ジブン関西の出なんか」
「ええ。あちらにいたのは十の頃までですけれど」
「関西に行って何すんねん?」
そんなに自分の進退が気になるのだろうか。随分と気に入られたものだと思いながらも、は思考を逡巡させて空を仰いだ。
「まだ、特には決めてないですけど・・・」
お陰様でそこそこの貯金もあるし、次の就職先を探す事は自分の中でそんなに重要な案件でない。本当に何も考えていなかった。
会社を辞めた事が一つの区切りである事は確かなのだが。
「そんならチャン、うちンとこに来たらどや」
「うち・・・?真島建設は事務でも募集してるんですか?」
「ちゃう、そっちやのうて・・・いや、どっちも同じやけど」
どこか煮え切らない言い方にが首を傾げると、真島は短くなった煙草を地面に落とし、靴の裏で火を消し潰した。
それからガシガシと乱雑に頭をかき回し、言葉を選ぶような素振りを見せる。
「真島組の姐さんにならんか?」
僅かに躊躇った後に発せられたその言葉は意外すぎて、は呆けたような表情を浮かべて彼を見つめ直す。
「姐さん、て・・・私がですか!?」
突拍子も無い言葉に、頭の中で何度か彼の言葉を反芻させ、漸くその意を悟る。
「せや。前にも言うたやろ。ワシ、チャンの事、気に入っとんねや」
「いやいやいや、気に入ってるとかそんな、それだけで・・・」
彼の言葉はプロポーズにも等しいそれだったが、それだけでは無い事を彼女は知っている。
真島組の姐となること。それはつまり、彼女の極道入りを示しているのだ。
先程真島組の組員達を叩きのめした事でも分かる通り、彼女は荒事が苦手なわけではない。
だが、極道入りともなれば先程の喧嘩など比にもならない。降りかかる火の粉を払うのとは訳が違う。
とて真島の事が嫌いなわけではない。
破天荒で読めないところのある男だとは思うが、その根は実に快活で分かりやすいとすら思っている。
僅か数ヶ月の付き合いではあるが、彼の仁義は理解しているつもりだ。
だがしかし。
「それだけで十分や。ここ最近チャンとおって、ワシはチャンやったら傍に置いてもエエて思うとる。・・・ああ、言い方が悪かったわ」
戸惑うを余所に何事かに気付いたような、合点がいったと言うように一つ頷いた真島が、じっと彼女を見詰めた。
その表情は至極真面目で、初めて見る彼のそんな表情に思わず言葉を失う。
「先にこれ言っとかなあかんかったな。・・・チャンが好きや」
思わぬ告白に息を飲んだ。
次々に突拍子も無い言葉を投げられて、順番が逆だとかそんな事を思う暇も無い。
「わ、私・・・でも、そんな、急に・・・」
予想外の展開にも突然の告白にも頭がついていかず、要領の得ない言葉を繰り返す彼女の腕を、真島の手が捉える。
チャン、」
名前を呼ばれそのまま引き寄せられたかと思うと、次の瞬間には真島の唇がのそれに重ねられていた。
「逃げんのか?」
直ぐに唇を離した真島はそう言って、だが掴むその腕は微塵も力が緩んでいないのだから逃がす気もないのだろう。
それでも彼女が抵抗すら見せぬのを良い事に、再び真島の顔が近くなる。
「好きやで」
鼻先で囁くように告げられた言葉に胸が苦しくなるような感覚に陥るを休ませる間も無く、再び重ねられた唇。
じょじょに深くなっていく口付けに、真島の胸を押し返そうとするが、殆ど力の入っていない腕では彼の体はびくともしない。
「逃げたらあかん」
決して強くは無くやんわりと告げられた言葉は、だが見えない呪縛となって彼女の自由を奪った。
鋭い隻眼がじっと伺うようにに注がれるのと同時に、皮手袋に包まれた真島の手が頬を撫でて後頭部へと回る。
逃げないのかと問いかけながらも逃げる事を許さない真島の唇が三度、その唇を塞ぎ、そして舌が歯列をなぞった。
思わず身を震わせた彼女の腰を抱いて、更に深く、と求めたところで荒々しい足音が耳に割り込んで来る。
「親父ぃ!会長からご連絡が・・・あっ!!」
遠目にも二人の影が重なっていた事が分かったのだろう。直後にしまったと言わんばかりの声を発した男達が思わず蹈鞴を踏む。
「アホ!空気読まんかいこんボケがぁ!!」
厄介払いした筈の組員達が戻って来て、真島は舎弟達に声を荒げた。
だがは声を上げた真島の力が緩んだのを見逃さず、するりと彼の腕から抜け出て体を離す。
チャン」
最早続きは諦めるより他ない真島がどこか名残惜しげに彼女を呼ぶ。
「返事は直ぐにでのうてええ。せやけど『はい』以外は聞かへんで」
それだけ言うと、真島は彼女の言葉を待つ事をせず、くるりと踵を返して舎弟達の方へと歩いて行く。
良い所を邪魔されたのを叱り付けながら去って行くその背を呆けた様に見送っていた彼女に、振り返った舎弟の一人が頭を下げる。
確実に誤解されている、と悟った彼女の口から大きな溜息が零れた。
「参ったわね・・・」
予想もしていなかった展開に言葉どおり、参ってしまったがぐったりとバイクに身を凭れさせる。
そしてその細い指先が、何度も真島を受け入れた唇を辿った。
戸惑っていたくせに、彼からの口付けが不快ではなかったのは、何故だろう。



絶対六代目はこのあと狂犬に八つ当たりされる。知らないけどきっとそう!笑
真島さんの一人称がゲームでも安定しなくて辛いです。
2013010