掌を上に向けて、右と左をくっつけて
お皿のようにしていたら
貴方が落ちてこないかなぁ、なんて



ルージュと私と落ちてこない貴方と




久方振りの船上生活だった。
ここ最近、モビーディック号に戻ってきては数日のうちに再び陸へ向かうと言う任務が続いていた。
そんな中での束の間の休息。
すっかり気を緩ませてぼんやりと船縁に肘を付いていた彼女の体を、突然後ろから捕らえた腕があった。
「!?!?」
本当に予期もしていなかったので相当に驚いて振り返ると、自分を羽交い絞めにしていたのは、同じ女であるでさえも目が眩んでしまうような色気を振りまくナース達。
〜!久し振りじゃない。お姉さんたちと遊びましょ〜」
どんな男でも落としてしまえそうなその笑みに昔の記憶を蘇らせたかつての『じゃじゃ馬』娘は、ごくりと喉をならした。



「あ、の、姉さん、あたしにこんなの似合わないと思うんだけど…」
この船で唯一女で隊長を務めている彼女の事を、ナース達はまるで妹のように可愛がる。もその好意に甘えてナース達を姉さんと呼んでいる。
船に乗るもの全てが家族だと公言する白ひげには、それが嬉しいらしい。
それはそうと、先程から髪を弄られたり化粧を施されたりとすっかり姉さん達の着せ替え人形になってしまっている『妹』は恐る恐る口を出してみた。
「何言ってるの!全くこれだからは!」
「そうよ!今が一番色々できる時でしょう!」
「ばっちり綺麗にしていい加減落として来なさいよ!」
ナース達にもすっかり知れてしまった彼女の恋心。
彼女もそろそろ二十歳を迎えようとしている。
最近は部下やナース達のお陰で少しは洋服や装飾品に興味が出てきたが、まだまだ未成熟だ。
そんな妹に自信を与えてやろうと、ナース達はその手腕をこれでもかと振るってを綺麗に着飾らせ、化粧をさせるのである。
「上出来だわ」
ミニはどうしても恥ずかしいと言う彼女に、仕方無くスカートはタイトな膝丈。色は白で清純さをアピール。
トップスはホルターネックのキャミソールで滑らかな肩を惜しげもなく露出させた。
極上の笑顔を浮かべて後ろから肩に手をかけてくるのはナース長のエルザ。ふわふわの髪が綺麗で色気もたっぷり。大人の女ってこういう人の事を言うんだろうなぁ、とは思う。
「じゃあ、いってらっしゃいな」
ニコニコと手を振るナース達に見送られて、彼女は医務室を追い出された。
普段なら間違いなくしないであろう格好に慣れず、恥ずかしさが込み上げる。
このまま部屋に引きこもって誰にも見られたくない、と思うがそれは許されそうにない。ナース達に後で知れたらまた色々と、されてしまう。
覚悟を決めていつものように過ごす事にしよう、と。
「おや珍しい。だが、なかなか似合ってる」
廊下を曲がると早速イゾウに出くわした。やはりこの船の上で誰にも会わないと言うのは無理のようだ。
こんな大人びた格好は似合わないと思っていたが、彼に褒めてもらえると言う事は多少は見れるようになっているのだろうかと彼女は少しだけ期待する。
「ナース達にやってもらったのか?」
頷く彼女に、ほんの親切心で教えてやった。
「マルコなら、食堂にいたよ」
「うん。…ん?えっ!?」
イゾウの口からその名前が出てきた事に驚いて彼を見やる。
「あ、ナイショだったっけ」
唇が弧を描いている。意地の悪い笑みを浮かべる彼に、はすっかり取り乱した。
その様にくすり、と笑みを零し。
「大抵のヤツはもう気づいてるさ。マルコ以外はな」
更に衝撃的な事実を告げてやると彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
その様がどうにも可愛くて、ついつい苛めてしまいたくなるのはイゾウの悪い癖だ。
「可愛いね。おれなら誘われてやるのに、その唇にさ」
己の身体と壁の間に彼女を追い詰め、顎に手をかけて上向かせる。
きつ過ぎない淡い色に輝きを乗せるグロスまでつけられたその唇は、思わず奪ってしまいたくなる。そのナース達の手腕を認めざるを得ない。
「え、あ、あの?」
ちょっとからかうだけのつもりが、余りに初な反応に堪らず吹き出してしまう。
「イゾウの意地悪っ!」
その隙に彼の檻から逃れたは真っ赤な顔を隠そうともせずに走り去って行ってしまった。
「ちょっと遊びすぎたかねぇ」
それにしても捨て台詞すら可愛らしい。と笑って、イゾウは彼女が駆けていった逆の廊下へと姿を消した。



慣れないピンヒールに足を縺れさせて、転ぶ、と思った時には既に身体が傾いている。
硬い板張りの床に叩きつけられるのを覚悟して目をつぶるがいつまで経っても衝撃がこない事に気づき目を開くと。
「あぶねぇなぁ。大丈夫か?気をつけろよ。って言うかお前誰だ?新入りのナースか?」
ナースにしてはナース服じゃねえしなぁ、とぶつぶつ呟きながらその身体を支えるサッチの姿があった。
「あ、ありがとう」
動揺したまま体勢を整えてサッチの手から離れると、その声でそれが誰であるのかサッチは気づいたようだった。
「お前、か!すげぇ化けたな!!」
彼らしいと言えば彼らしいと思ったが、もう少し言い方と言うものがあるだろうとむくれる彼女に構うはずもなく、サッチはおもむろにその腕を掴んで歩き出していた。
「ちょ、どこへ!?」
ぐいぐいと引っ張るサッチに嫌な予感がして尋ねると、サッチは眩しい笑顔で言うのだ。
「食堂に決まってんだろ!皆にも見せてやれよ!」
只でさえ恥ずかしいと言うのに隊長達だけでなく一般のクルーまで集まる食堂へ行けと言うのか!とはそれを拒む。
「い、いい!やめて!見せなくてもいいから!」
だが彼女の悲痛な叫びは届くわけもなく、あっさりと食堂へと引っ張られて来てしまった。
「おいサッチ、船にまで女を連れ込むなよ」
まさかそれが0番隊の隊長だとは思ってもいないラクヨウが、女連れのサッチに声をかける。
「フッフッフ、良く見ろよ」
サッチの影に隠れていた彼女を無理矢理に前に押し出すと、その髪の色でそれが誰であるのか気付く。
?」
目を丸くしたハルタがまじまじと見てくるのでいたたまれなくなって彼女は視線を逸らす。
お昼時を少し過ぎていたので多い方ではなかったが、食堂にはまだそこそこのクルー達がいて、その視線から逃れようとジョズの大きな身体の後ろに隠れた。
「ほう、なかなかのものではないか」
ビスタが褒めてくれるのも、耳には入らない。
恥ずかしさの余りにジョズのかげに隠れてなお、テーブルに顔を突っ伏した。
この姿を見て、彼が、マルコがどんな反応をするかなんて、確認できるはずも無かった。
「誰かこいつを甲板へ連れて行ってやれよ」
戦闘中か宴会時でもない限り甲板は人が少ない。自分が無理矢理連れてきたくせに、彼女を連れ出してやれ。とサッチが言うと、隊長達の視線はマルコへと集まる。
「・・・・・・」
突っ伏したままのは全く気付かなかったが、マルコが声を出さずに「何でおれを見るんだ」と訴える。
「お前以外にいるか」とビスタやフォッサまでもが口だけを動かし。
折れたのはもちろんマルコ。
「来いよい」
仕方なく、マルコは彼女の腕を取って甲板へと向かった。
丁度食堂の前を通りがかったイゾウが二人の背を見つけ、にんまりと笑みを浮かべ甲板へと向かって行くのを見て、サッチ、ビスタと次々に隊長達も席を立った。



「もう、恥ずかしかった…!」
船縁にぐったりと凭れ掛かる彼女の肩はむき出しのままで、冬島に近いこの海の冷たい風が身体に障ってはいけないとマルコは自分の上着をかけてやった。
「ありがと」
冷たい風に当たって少しは頭が冷えたのか、彼女は小さく礼を言ってようやく顔を上げた。
柔らかに色づいた唇につい目を奪われて、マルコはさり気なく彼女から視線を外す。
それでももう何度目か分からない、彼女の想い人を探るような言葉を吐いた。
「で、お前はそんな唇で一体誰を誘ってんだい」
「好きな男が落ちてこないかなって」
精一杯の勇気で意味深な台詞を吐き、誘ってみる。
「効果はあったのかい?」
その言葉には肩を竦めた。今回も駄目らしい。
「今のところ駄目みたいね」
せっかくナースのお姉さん方に選んでもらった口紅もこの服も、この男の前ではなんら効果を発揮しないらしい。
眉一つ動かす事なくその唇を眺めて視線を外していった彼を思って溜息をつく。
熱心にやってくれたエルザ達を思い、心の中でごめんなさい、と謝った。



(バカかマルコ!なんでそこでキスしてやらないんだ!)
(せめて褒め言葉の一つでもくれてやれば良いものを!)
(大人って素直じゃないよねー)
(あいつら本当にもどかしいな!)
いつぞやのように甲板への出口に集まる隊長達。
やはりその後ろには甲板に出たくても出られないクルー達の姿があった。



(一体何をしたら落ちてきてくれるんだろうなぁ…)
横目でマルコの様子を伺いながら溜息をつくと。
(おれなら落ちてやるのによい)
実は褒め言葉すらかけられない程にその姿に動揺していたマルコと。
そんな二人の思惑は今日も重なる事はない。



20100806