分かってるんスよ。自分が我が侭だって事くらい。
サッカーはやめられねぇけど、アイツも手放せない。
ねぇ?我が侭っスよねぇ?
そりゃもう、痛いくらいに分かってるんスよ。



世界一の我が侭




『カチャン』と小さな乾いた音がして、高杉が足元を見やれば、小さなロケットが転がっていた。
「槌矢さん、落としましたよ?」
拾い上げた手の平に、何とはなしに目線を落とせば、ロケットは蓋が壊れていて、中の写真が見えていた。
槌矢にもこういう人がいるのかと、高杉はまじまじとその写真を見つめる。
写真の女は黒い髪の美しい女で、優しい笑顔を、今は、高杉に向けていた。
「綺麗な人っすね。彼女っすか?」
聞き辛い事をいとも簡単に聞いてしまえるのは高杉の性格なのか、それともその人物への興味が勝ったのか。
「そんな大層なもんじゃありませんよ…」
そう言った槌矢の顔に表情はなく、懐かしんでいるのか、悲しんでいるのか…そもそも何かを感じているのかすらも分からない。
「愛してましたけどねぇ」
槌矢が不意に、小さな声でそう言ったのを、聞き逃さなかったのは尼崎で。
「してた?過去形なん?」
他人の色恋沙汰に関わりたくない伊武や騎場は、さっさと寝る準備を。
そんな話より伊武が大事の国分も、やっぱり伊武の傍で眠りにつこうと。
濱田と末次は聞いているのかいないのか。
興味津々の尼崎と緑川に、言い出しっぺである以上最後まで聞かなければならないような、謎の使命感に駆られた高杉。
それから、その写真の女を知っているタクローと寺本はなんとも言えない表情で槌矢を見つめた。
高杉の手からロケットをなんとも無造作に受け取った槌矢は、聞き手達には何も話すつもりはないのか、ただじっとそれを見つめるだけ。
「ねぇ、それでその人、槌矢さんのなんなのさ?彼女なの?別れちゃったの?今でも好きなの?」
緑川の質問責めにも、槌矢は表情を変えない。その心はここにはないのか。
「それでものねーちゃんはずっと『愛してる』ち言うとったバイ」
代わりと言うように口を開いたタクローの言葉に、槌矢は小さく肩を震わせる。
「アイツは…」
まるで自分に言い聞かせるように喋り出した槌矢に、一同は耳を済ませる。
遠い異国の地でサッカーの試合を繰り返し、ホテルにすら泊まれずに疲れきった己の、それでも神経を集中させて。
「アイツは俺の我が侭で縛り付けていいような女じゃないんスよ」
己というものをしっかり持っていて、芯の通った強い女だった。
自分が傍にいなくても生きていける、悲しみに溺れたりはしない、強い女だった。
だから、サッカーと彼女と、選べない自分などがいつまでも束縛していていいような女ではなかったのだと。
「おまんは馬鹿タイ。そうやって自分から諦めとうッタイ」
寺本の言葉に「分かったような事言うんじゃねぇよ」と返して槌矢は黙り込む。



『郡司は我が侭ねぇ』
リザーブ・ドッグズに召集されて、海外への乗り込みが決まった日の事だった。
『サッカーも私もなんて、本当に欲張りなんだから』
そう言って笑っていた。
『そうッスねぇ…。俺は我が侭ッスねぇ。それは良く分かってるんスよ。だから、俺はこれ以上俺の我が侭でアンタを悲しませたくはないんスよ』
『あら、私は悲しんだりなんかしてないわよ。むしろ嬉しいくらい。郡司のサッカーへの入れ込みは理解しているつもりよ。それでも私も選ぼうとしてくれている、ただそれだけで私は嬉しいのに』
彼女はそう言って笑ったのだが、槌矢は笑う事はできなかった。
『終わりにしよう、。俺はお前をこのまま束縛していたくねぇ』
滅多にならない真面目な口調の槌矢に、彼女は返す言葉を見つけられなかった。



『それでも貴方を愛しているわ』
彼女のその最後の言葉は、今も耳に残って離れない。
本当に、己が縛り付けていたのだろうか。
本当に、手放してしまって良かったのだろうか。
今となっては知る由も無い。
遠い異国の地、彼女と連絡を取れるはずの唯一の手段の携帯も、ここでは電波が通じない。
「それでも、あいつは悲しんだりしないはずだ」
己にも言い聞かせるように。
彼女は自分がいなくても大丈夫だと。

「そうよ、私は悲しんだりしない」

不意に聞こえた声は、ここではチームメイト以外使うはずのない日本語で。
驚いた槌矢が顔を上げるより早く、高杉が彼女の姿を認めて、口と目を丸くした。
「あ…さっきの写真の人…」
…お前…」
そこにいたのは紛れもなく、日本を立つ前に別れを告げて来た彼女で…。



そう、はそこらの女とは違う。
悲しむだけで終わりにはしない。
「郡司、私は」
肩にかけた重い荷物をおろして。
「私はいつまでも泣いているだけじゃない」
…」
槌矢の目にはもはや、回りの人間は目に映らずただ、目の前のいるはずのない愛しい者に注がれる。
「『それでも貴方を愛している』この言葉に今も変わりはないの。…だから郡司、貴方の言葉を聞かせて。貴方の想いを聞かせて。貴方に束縛されているなんて、一度も感じた事はないわ」
そっと伸ばされたの手は、ロケットを握った槌矢の手を優しく包む。
…俺は…」
「素直になったほうがいいっタイ。槌矢のニーちゃん」
タクローがそう言って、寺元と共に回りのギャラリーを少し離れたところに追いやった。
「お前は…サッカーとお前と、選べない俺を、それでも愛してるというのか?」
滅多に開かれない槌矢の瞳、その瞳には未だ迷っているのか、光が揺らめく。
「無理に選んでもらおうなんて思わないわ。貴方は…」
そこで一度言葉を切った彼女は、にっこりと微笑んだ。
「貴方は、どちらも譲らない、そう言う人よ」
その言葉を聞いた瞬間に、槌矢は己の手に重ねられたの手を思いのさま引っ張った。
勢いあまって自分の胸に飛び込んでくる彼女をそのまま強く、抱き締める。
「俺は…。そうだ、俺はどちらも同じように手に入れる。諦めたりしねぇ…片方だけなんて選べねぇけど…それでもお前を愛してる」
どちらからともなく重ねられた唇、それを見つめるギャラリーに、伊武の罵声が響くのも当然の事。



こうして日本から離れた、遠く異国の地で、二人は再会する。
世界一の我侭は、叶えられる。



私の書く槌矢はキス魔。
20100622加筆修正