海の子になると言うこと。
彼の子になると言うこと。
それもいいかもしれないと。



大きな背中と小さな私と




その日の戦果は大量で、いつものように大宴会。
夜が更けても甲板に掲げられたたくさんのランプの火は落ちず、いつまでもグラスを合わせる音や陽気に歌う声が響く。
コック達が休まずに腕をふるっているお陰で料理は次から次へと出てきてはクルー達の胃袋へと消えていく。
モビーディック号の船長、白ひげ海賊団の頭、エドワード・ニューゲートも甲板で酒を浴びるように飲んでいた。
ナース達の制止の声すら彼には心地良い歌声に聞こえているようだ。
「羽目ェ外しすぎだ、アホンダラどもが」
大騒ぎしている息子達の姿に満足そうに笑みを浮かべ、甲板を見渡していたその視線がふと一点で止まる。
その視線の先には一人の少女。白ひげ海賊団とはなんの関係もない、はずの『じゃじゃ馬』の姿。
宴会の輪から離れたところで船縁に肘をかけてちびちびとグラスを傾けている。
基本的には海へと向けられているその視線は、甲板で大きな笑い声が上がったり、誰かが歌を歌い出す度にちらちらとそちらへ向けられた。
「しけたツラァしやがって」
ニヤリと笑った白ひげは、ナースの一人に指示をして彼女を自分のところへ呼び寄せた。
近くの樽の上にグラスを置いては白ひげの足元へやってくる。ナース達は気を利かせて少しだけ下がった。
「何か?」
「随分としおらしくなったじゃねェか」
初めて彼女がここに来た時の事を思い出して、白ひげはニヤリと笑いかける。
『じゃじゃ馬』と呼ばれる程奔放だった彼女が不慮の事故でこの船にやってきた時、医務室のベッドを一つ雷で粉砕した事を今でも覚えている。
あの頃は人型になる事を嫌い獣の姿でこの船をうろうろしていた事も多かった彼女が、一人海を眺めて酒を傾けるようになるとは。
「マルコが、厳しかったので」
その言葉に思わず苦笑した。こんな少女にも、マルコは容赦をしなかったようだ。
一年近くの年月をかけて彼に矯正されたお陰で、今では海楼石が無くてもちゃんと人型でいられるようになった。
「ヤツが嫌いか?」
「嫌いなんて事はありません」
きっぱりと彼女はそう言った。
やり方は多少強引だったが、彼がいなければ彼女は永劫に獣の姿のままでいたかも知れないのだ。
それをちゃんと感情のコントロールができるまでにしてくれたのは、彼だ。
感謝こそすれ、嫌いになる事などありえない。
「そうか。この船は嫌いか?」
その質問が意図するところが何であるのか、は気づいて思わず彼から視線を逸らした。
モビーディック号に乗る時に誘われた言葉。
帰る場所も無い彼女を、家族として迎えても構わないと。
その時は戸惑い直ぐに答えは出せなかった。怪我が治るまで、と船に留まったがあれから一年が経とうとしている。
あの時の怪我などとっくに癒えていた。
「あの、」
緊張で口の中が乾いてきたのをは自覚した。
ただ一言、簡単な一言を告げるのに、多大な勇気と気力を要する。
白ひげはきっと、あっさりとそれを許すだろう。けれど、大海賊と名高いこの船に自分がいてもいいのだろうかと迷いもする。
だがこれ以上、ただなんとなくこの船に乗っているわけにも行かない。
ここに居たいと思うのなら、きちんとけじめをつけなくてはいけない気がした。
白ひげには彼女が何を言おうとしているのかなど、もう判っているのだろう。ただ、笑みを浮かべてじっと次の言葉を待っている。
「貴方を…」
震える手をきつく握り締め、白ひげを真っ直ぐに見つめた。
金色に輝く瞳は、まだまだ無垢で綺麗だと、白ひげは目を細める。
「貴方を『オヤジ』と呼ばせてもらっても、いいですか?」
ようやく声になったその言葉は、だがしっかりとエドワード・ニューゲートの耳に届き、彼はいっぱいの笑みを浮かべた。
「アホンダラ、親に向かってそんなかしこまった口聞くヤツがあるか!」
そう言って笑った『オヤジ』の大きな声に、クルー達が何事かと彼を仰ぎ見る。
「おめェら、おれの新しい『娘』だ!可愛がってやれよ!」
言いながら彼女の細い体を掴んでなんとも無造作にぽい、と宴会の輪の方へと放り出す。
「わ、あ!」
突然放られたその身体をサッチ、ビスタ、マルコの腕が受け止めて。
「オヤジ、もう少し丁寧に扱ってやれよー!」
サッチがとてもまともな事を言うので、白ひげが再び大声で笑う。
それ以上に、新しい『家族』ができた事を祝う声があちらこちらで上がり。
こうして彼女は白ひげ海賊団の一員となったのだ。



エースとオヤジにたくさんの愛と黙祷の意を込めて。
20100804