その姿を一目見た時、心の蔵がざわついたのを覚えている。


千年の徒事・一



己が隊長の肢体が地に伏せるのを見てその女は悲しそうな表情を浮かべていた。
それが護廷十三隊の隊長の座に就く為に認められた歴とした手段であるとしても、自分が仕える隊長がどこの馬の骨とも知れぬ男に斬られる様を目にするのは心中を察するに余りある。
だがそれがどうした、と更木は思っていた。
相手が自分よりも弱かった。ただそれだけの事だ。二百人以上の隊員の立会の元、現隊長を殺す事が次の隊長として認められる手段である以上、目の前の男を斬って捨てた事を誰にも非難される謂れは無い。
数いる多くの見物人の中で更木が彼女に目を止めたのは、その女の腕に隊長羽織が抱えられていたからに過ぎない。たった今、この瞬間から己の物となった十一番隊隊長を示すその羽織が。
女の元まで行ってその羽織を奪ってやるべきか。そうして周囲にこの事実を突き付けてやるべきだろうかと僅かに逡巡している間に、女は自ら更木の元へと歩み出る。
その顔には今までの悲しげな色は無く、些か更木は拍子抜けした。
護廷十三隊の隊長となる幾つかの手段の中でも殊更に怨恨を残しそうな手段をとった己への恨み言の一つも覚悟はしていたが、予想に反してその女は更木の前で静かに頭を下げる。
「お疲れ様です。規約により只今から貴方が十一番隊隊長です」
そうしてその細腕で隊長羽織を差し出してくるその表情にはいかなる感情も見受けられず、先程垣間見えたあの悲しげな表情はなんだったのだろうか、と更木は訝しがる。
差し出した羽織がいつまでも受け取られない事を不思議に思った女が垂れていた頭を上げ、更木の視線が己に向けられているのを認めると何を得心したのかああ、と小さく零してから口を開いた。
「私は十一番隊第四席、十六夜と申します。今後ともよしなに」
彼女の正体を知りたくて視線を投げていた訳ではなかったが、思いがけず意外な事実を知って更木は瞠目したのだった。



随分と血生臭い手段とは言え、正規の手続きを踏んで隊長の座を得た更木は予想していたよりはすんなりと瀞霊廷に受け入れられた。
それは勿論、今まで流魂街で思うが儘に人を斬っていただけの彼に代わってあれやこれやと事務手続きを行ったの働きが大きいのだろう。
隊長の座をかけての対決の結果。それに伴う人員整理と十三隊各隊への連絡、根回し。全てを一手にこなした彼女は何の感慨も見せずに昨日とは違う男を隊長、と呼ばわる。
十三隊の中でも戦闘専門部隊と呼ばれる程荒っぽい隊に何故女がいるのかとか。前隊長への未練等は無いのかとか。色々と思うところが多すぎて何から尋ねたらいいのかすらわからぬ。
何よりも、望んでそうしたとは言え一変した自身の生活に慣れるのが今は精一杯でこの不可解な女について問いただす気も起きない。大抵は『面倒臭え』の一言でが全てを引き受けたとしても、だ。
総隊長である山本元柳斎に顔見せがてら形ばかりの挨拶をしに行けば護廷十三隊としての心構えを長々と聞かされ、うんざりとして自身の隊舎へと帰り着くと時刻はとうに昼を過ぎていた。
昨日の今日で新体制も何もあったものではない、とまだ隊舎に他の隊員の姿は無く閑散としているが、それでも彼女は当然のようにそこに居る。
「お帰りなさいませ、更木隊長。何か弁当でも買って参りましょうか」
彼が昼飯を食いっぱぐれた事を察したがそう尋ねるのに、更木は遠慮も無く頷く。
「悪ぃがそうしてくれ」
「どういったものがお好みですか?」
「食えるモンなら何でもいい」
ぶっきらぼうに応える更木と僅かばかりのやり取りをした彼女はそれでも別段気分を害したようでも無く、いつも通りの涼しい顔をしてでは、と更木に向かって軽く頭を下げると出入り口へと向かって行く。
出来過ぎていてどこか恐ろしさすら感じる、と更木は柄にも無く心の内で彼女をそう評しながらその背を見送っていたが、彼女が戸を開けるより先に扉の方が動いた。
「京楽隊長」
扉を開けた人物に気付いた彼女がそう口にした事で、更木は自分と同格であるどこぞの隊の隊長がやってきたのだと知る。
「あれちゃん、お使い?」
「はい。直ぐに戻りますが私に用がおありでしょうか」
「ううん、大丈夫だよ。散歩がてら挨拶に寄っただけだから。気を付けていってらっしゃい」
頭を下げて隊舎を後にした彼女の後ろ姿をいつまでも眺めながら、不意に京楽が口を開く。
「相変わらず溜息が出る程綺麗だよね、彼女」
第一声が女の容姿を褒め称すものだったので、更木は思わず「は?」と口にしてしまっていた。
「あれ?興味無い?あんな綺麗な子が傍にいるのに勿体無いね」
互いに初対面であるにも関わらず第一声が女の見目の事とはこいつの頭の中はどうなっているんだ、と呆れかえっていると漸く彼女の後姿から視線を外した男がこちらへとやってくる。
「綺麗だし有能だし、僕なら放っておかないんだけどなぁ。でもいくら誘っても絶対十一番隊の四席から離れる気は無いって言うし。ほんと残念だなぁ」
気落ちした様子で肩を落とされても、だから何だ、としか更木には言いようが無い。言う気にもなれないが。
「まぁでも、彼女みたいな子が十一番隊に居てくれると助かるよね。隊長が変わる度に席官がみんな入れ替わっちゃってたらこっちも大変だしね」
その言葉に更木はふと気が付いた事を口にした。
「アイツはいつからここにいるんだ?」
隊長格同士とは言え初対面の相手に随分と無遠慮な口のきき方だったが京楽は気に留める風も無く、むしろ彼女に興味を持ってくれた事をどこか嬉しがるように口の端に笑みを浮かべてさらりと告げた。
「ずっとだよ。初代剣八の頃からずぅーっと」
「アァ!?」
京楽の言葉に流石の更木も驚いて上擦った声が出てしまった。
何かの間違いで戦闘部隊に紛れ込んでしまったのではないかと思うような女が実は初代剣八の頃から十一番隊に在籍しており、あまつさえ戴く席官を離れる気は微塵も無いらしい。
「ああ、自己紹介が遅れたけど僕は京楽春水。八番隊の隊長を任されてるんだ。どうぞよろしく、新しい剣八くん」
驚きのあまり言葉を失っている更木を余所に一方的に挨拶を済ませた京楽は、悪戯が成功したとでも言わんばかりの笑顔だ。
「大事にしてあげてね。あ、もちろん十一番隊で要らないって言うなら僕としては喜んでお引き取りしたいところだけど」
軽口を叩いて未だ放心しかけている更木を残して京楽が去って行ってからほんの僅かばかり後に、先程まで男達の話に上っていた女が戻って来る。
「只今戻りました」
律儀な挨拶と共に姿を見せた彼女を改めて見やると、確かに容姿は整っていると気付く。
背は低くもないが高くもなく一般的(とは言え更木からしてみれば大概の人間は小さいと分類されるが)。涼しげな切れ長の目はそれでいてキツさを感じさせる事も無く、筋の通った鼻に、淡い色の紅を乗せられた唇。
艶のある長い黒髪は下の方で緩く纏められて広がらないようにされており、体つきは…ゆったりとした着物のお蔭でわからないがまあ、それでも大概の男なら食指を動かされるに違いない、と言った風貌だ。
更木とて一人の男。上等な女がこんなにも近くに居れば興も乗ろうと言うものなのに微塵もそういった気になれないのは、この女が感情に乏しくどこか正体不明な部分を感じさせるからだ。
出会って僅か二日で彼女の全てを知れるとは思ってはいないが、こうも正体を掴ませぬと言うのは薄気味が悪い。感情の起伏が少ないせいかどこか人間味に欠けるのだ。己が人間味を語るのも可笑しい事だとは思うのだが。
「どうぞ。召し上がってください」
不躾な視線を送って来る更木に気付かぬ筈もないだろうに、それでも彼女は眉一つ動かさぬまま彼の元へとやってきて近場の仕出し屋で調達して来たのであろう弁当を机の上にそっと置いた。
「食べながらで構いませんので少しよろしいですか隊長」
瀞霊廷に来たばかりで勝手がわからないとは言え食事中ならば躱す事も叶わぬ…と、そこまで計算した上での言葉かどうかは知らぬが、届けられた弁当の包みを剥がし始めていた更木は至極面倒臭そうに頷くより他無い。
「新たな十一番隊としての体制を出来るだけ早く整えてしまいたいもので…」
そう前置きしたは己の机から数枚の紙切れを手にする。
「隊員の異動と席官の選定についてですが」
「なんだ、そりゃあ俺が決めていいのか」
パキリと割り箸を割りながら訪ねる。
「基本的には隊長格だけに与えられた権限ですから。…現在七名の移籍願いが出ております。異存なければ…と申しましても当人達を知らぬ更木隊長には判断付きかねるとは思いますが、異動を認められるようであれば決済の判子を頂けますか。…差し出がましい事を承知で申し上げるならば私見では異動に何の問題も無いと思います」
十一番隊は戦う事に長け、何よりも戦う事を愛する者の集まりだ。そんな彼等の上で力ある者として君臨する隊長に心底陶酔している者も少なくは無かった。
突然の隊長交代を受け入れらずこうして『剣八』が代代わりする度に数名の移籍希望者が出るのは珍しい事ではない。
そうしてが見る限り、届けを出してきた者達の中で異動に際しての問題がある者はいないと判断できる。性質的に他の隊でもやっていけると言う意味と、十一番隊の戦力減少と言う意味からしても。
「机の一番上の引き出しの中に隊長印がありますので、それをこちらの用紙に…」
が手にしていた紙の束から幾枚かを引き抜いて更木の机に置き終わるよりも早く、一度箸を休めた更木が引き出しを漁ってそれらしき印を見つけ出し、彼女へと投げ渡していた。
「押しておけ。報告だけは聞いたんだ。誰が押したって一緒だろう」
隊長としての雑務をまるでこなす気がなさそうな更木の様子にもは一度軽く目を伏せただけで、受け取った判子に朱を塗るとぺたぺたと書類へついていく。
重ね重ね言うまでも無いが戦う事を何よりとしているこの隊に於いて、隊員はおろか隊長ですらもまともに事務作業をこなす者は少ない。
長年この隊の色を見続けてきた彼女にとって更木の取った行動は、予想の範疇であったのだろう。
小言を垂れるでも無く更木の命に従うその姿に、成程こう言う役割でもこの女は長年十一番隊に居続ける必要があったのかも知れない、と考える。
承認の証である隊長印を押し終わった彼女は次に、と口を開く。
「席官選定の件ですが、現在副隊長と第三席の座が空席となっております。もし更木隊長のお眼鏡に叶う者がおりましたら是非ご推薦ください」
「三席はまだしも、副隊長まで不在たァどうなってやがる」
そんな事で良いのだろうか。等と柄にもない事を思っている更木を余所には淡々として応えた。
「唯一の例外ではありますが、副隊長の立場から繰り上がりで隊長になった者がいるのです。それ以来、特に副隊長の指名が行われなかったのでそのまま空席になっていただけの事」
そして更木は一つの事実に気付く。
副隊長と三席が空席であると言う事は、今目の前に佇む女は実質副隊長と同等では無いのか、と。
「てめえが副隊長になりゃあいいんじゃねえのか。さっきの…京楽っつたか…アイツの話じゃ初代剣八の頃からここにいるらしいじゃねえか」
「お聞きになりましたか…ですが私は生涯十一番隊第四席でいると決めた身。お話を頂いたところで辞退させて頂くだけの事。どうぞ他の者からお選びください」
その言葉には何があっても今の地位を変わる気はないと言う強固な意志がはっきりと見て取れ、何が彼女をそうさせているのかは知らぬが意外にも頑固な奴だと知る。
「面倒臭えヤツだなてめえ…もし俺が強制的に副隊長に推したらどうするんだ」
「その時は隊長を切り捨てて私が一時その座につき、自分の立場を四席に戻しましょうか」
その言い方はまるでそれが不可能ではないと言っているようで、あまりの不遜な言葉に思わず更木は口の端を吊り上げて笑った。
「それが出来ねえとは思っていないような口ぶりだな」
「まさか。もしも、の話ですよ」
悪戯な色を含んだ声音で言った彼女の表情は、その時確かにやんわりと笑んでいた。



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20150118