重荷にはなりたくないのだ。
彼の目指すところはとてつもなく高いところで。辛いところで。
そんな彼に、余計な気は使って欲しくないのだ。
だから。
私は伝える事を放棄したのだ。



Something In The Way




台風が近づいているからと、学校を早くに帰されることになった。
友人達は早く帰れると喜んでいたけれど、私にとっては憂鬱な事でしかない。
大好きな部活も中止だと言うのに。
段々と強まるその雨に、友人達はさっさと帰って行った。
誰もいなくなった教室で、暗くなっていく空を見つめていたけれど、それで台風がどこかへ行くわけじゃないし、私は仕方なく教室を出た。
人を睨む事でその人をびびらせる事が出来るように、空を睨む事で台風もどこかへやってしまえたらいいのに。と、訳の分からない事を考えながら上履きを履き替えて校庭に出ると、そこには良く見知った男が一人。
「何してるの」
声をかけると、彼は私の方にゆっくりと振り向いた。
雨が降っているというのに、彼は雨の中、いつもと変わらないようにボールを蹴って。
私の大好きなその、黒と白のボールを、ネットに叩き込んで。
「ああ…アンタッスか」
その独特な喋り方で。
同級生なのに、敬語みたいな口調で。
「風邪、ひくわよ。こんな雨の中」
「アンタこそ傘、ささないで帰るんスか?」
相変わらず、感情の良く掴めないその猫目は、本当に私を心配してくれているのか、それともただの社交辞令か。
そもそも、そこに私への感情を探そうとしている私は何なのか。
「帰らないの?今日は部活も中止よ?」
「傘、ないんスか?」
互いに互いの質問に質問で返し続けて。
そんな間にもどんどん降ってくる雨は、私達の全てを濡らしていった。
不意に彼は俯いたかと思うと、肩を揺らした。
どうかしたのかと、彼をじっと観察していると、小さな笑い声が。
喉の奥で、くつくつと笑っていた。
「キリが、ないスねぇ?」
「それは貴方が、私の質問に答えてくれないから…!」
なんとなく理不尽さを感じて声を上げかけた私を見ても、彼はまだ笑ったままで。
「もう、今更傘さしても無駄っぽいですねぇ」
言われて気付く、髪も制服もびしょ濡れな事に。
「どっちにしろ、傘ないもの」
そう応えると、彼はニンマリと笑う。
「アンタの負けッスね」
「何の事?」
「先に相手の質問に答えた方の負け」
そう言って彼はゴールに転がったボールを取りに行く。
「な………!」
相変わらず、その猫目は、感情を隠して。私に何も言わせないで。
「じゃ、罰ゲームに俺のお願い、一つ聞いてもらいましょうかねぇ…」
「ちょっと!そんなの聞いてないわ!それ以前に、いつからそんな勝負してたのよ!?」
「さぁ、いつからでしょうねぇ?」
やっぱり、その表情からは感情なんて読み取れなくて。
嗚呼、それにしても、その表情に先程から感情を読み取ろうとしてしまっている私は一体何なのだろう。
そんなジレンマに陥ってる間に、彼は私の足元までボールを転がしてきた。
気付けば、すぐ側に彼が。
「アンタ、俺に何か言いたい事ないスか?」
「は?」
唐突な言葉に、反応出来ずに彼を見つめていると、彼は小さく首を傾げて私を見る。
「鈴火先輩にね、言われたんスよ。『最近がなんとも言えない表情でお前の事見てるけど、お前、なんかしたのか?』ってね。俺には覚えがないから、アンタかな、と」
嗚呼、なんて愚かな私。まさか練習中にそんな表情を鈴火先輩に見られていたとは。それより何より、そんな表情を誰かに見られるようなところでしていたなんて。
「別に…何もないわ」
そうは言ってみたものの声は微かに、そう、ほんの微かにだけど震えていて。
これは雨に打たれた寒さのせいなんかじゃない。だって今は蒸し暑い夏で、降り注ぐ雨は心地良いくらいだもの。
そう、私は彼が好きだけれども。
上手く言葉にならないくらい好きなのだけれども。
嗚呼、この想い、絶対に知られてはいけないのに。
彼が目指すところを知っているから、彼の重荷にはなりたくないのに。
「アンタ、結構自分の感情押し殺しちゃうタイプっスよねぇ」
そんな事、感情の読み取れない彼には言われたくないけれど。
私はこの、感情の読み取れない男が少し羨ましくなる。
「そんな事、どうでもいいじゃない。私、帰るわ。風邪ひいちゃう」
急いで踵を返した私は、すぐに身動きが取れなくなった。
「今更傘もささずに帰っても、風邪、ひきますよ」
彼の声が、すぐ耳元でして。
「ね、離して…欲しいんだけど」
背中に、彼の体温。耳元で囁かれる声。
私の耳は急に、雨の降る音や、その他の回りの音が聞こえなくなってしまった。
「アンタ、ずるい人ッスねぇ。俺のお願い、きいてもらえませんか?」
「ず、ずるくなんてないわ。大体勝負なんてしてたつもりもないもの」
そう言ってみても、後ろから抱きつかれたままの私は解放される様子も無かった。
「じゃあ、俺がアンタの質問に答えたらアンタも俺のお願い、聞いてくれます?言いたい事、言ってくれます?」
彼が私の質問に答えたとしても、私はこの想いを彼に伝えてはいけない。
そう、私は伝える事を放棄したのだ。
それなのに。
それなのに、この男は。
「アンタを待ってたんスよ」
耳元で囁かれた言葉は極上のチョコレートのように、甘く、それでいて苦く。
「な…なんで待って…」



「アンタが好きだから」



雨が激しくなっていたにもかかわらず、私の耳はその言葉を聞き逃す事は無かった。
思いもよらなかった言葉に硬直したままの私に、彼は問いかける。
「ねぇ、アンタの言いたい事、言ってくれないんスか?」
「わ…私…」
それでも、言いたい事は上手く出てきてくれなくて。
自分の感情を押し殺してきた私は、こんな時でも感情を押し殺してしまうのか。
「アンタも、俺の事、好きなんスか?」
そう、言ってくれた彼の言葉に、私は必死で頷いた。



雨は、大好きな部活を中止させてしまったけれど。
私はやっぱり上手く気持ちを伝えられないのだけれど。
彼は相も変わらず感情の読み取れない猫目なのだけれど。
雨は今も、二人の身体を打ち続けているのだけれど。
繋いだその手は暖かいから。



鈴火先輩はオリジナルモブ。
20100623加筆修正