This world does not sleep:02




ドアが開く音よりも先にそこに人がいると分かったのは職業柄仕方の無い事だ。
職業柄、と言っても今は何か仕事をしている訳でも無いので昔取った杵柄とでも言うべきなのだろうか。
とにかく、この家に人の近付く気配を感じたリゾットは、当時のように音も無く立ち上がり玄関へと出向いた。
それと同時にドアが開き、彼女が帰宅する。
「今日は早かったな、
予想外に早い時間の帰宅、それでもそこにいるのがだと分かったのは、この家に彼女以外で出入りする人間がいないから。
この家に住む八人の人間のうち、出入りをしているのはたった一人、彼女のみだ。
「今日は暇で、仕事が早く終わっちゃったの」
いくつかの嘘の中に混じるいくつかの真実を口にすれば、リゾットはそうか、とただ一言返しただけでそれ以上は何も聞いてこない。
その事に安心しながら家へとあがる。
一般の夕飯時には少々遅い時間だが、彼女の帰りを待つのが当たり前になっている彼らにはこれからがその時間であって、広間の方には全員が集まっているのだろう。なにやら賑やかな声が聞こえる。
「お前が買ってきた魚、ペッシが大喜びでアクアパッツァにしたぞ」
リビングを覗いて見れば、キッチンに立っているのはペッシで、その横で口やら手やらを出しているのはホルマジオだ。
彼らが今日の料理当番ならば味の方は心配なさそうだと、は笑みを浮かべる。
「楽しみね。ちょっと着替えてきちゃうわ」
小振りの鞄だけを抱えた彼女が部屋へ向かうのを見送って、リゾットは今も昔と変わらず騒がしい彼らの輪の中へと戻って行く。
ブチャラティとの戦いで一回り成長したと思われるペッシも、いつものメンバーの中にいればやはり変わらず下っ端扱いのままで、懸命に料理をする彼の横から、茶化すようにホルマジオが口も手も出している。
そろそろ情けない声を上げるのではないかと思われるペッシの声を聞きつつ、どっかりとソファに腰を下ろして新聞を広げているプロシュート。
何を見ているのか自分のパソコン型のスタンドに向かっているメローネに、テレビに向かって悪態をつきつつも決してチャンネルを変えようとしないギアッチョ。
を迎えに出ていたリゾットが戻ってきた事に気付いたイルーゾォが鏡の中から半身を出していた。
「帰ってきたのか?」
「ああ。今日は仕事が暇で早く上がれたそうだ」
二人の会話をきっちりと聞いていたプロシュートが新聞から視線を上げ、壁掛け時計を確認する。
「確かに早いな。だが、飯の時間には丁度いい」
言いながら新聞を片付け、夕食の支度をしようと立ち上がるプロシュートにリゾットが気遣わしげな声をかけた。
「座っていろ。このくらいはオレ達でやる」
戦闘の後遺症で、プロシュートは片足が上手く動かない。特にリゾットはそれを気にして彼に余計な事をさせないようにしてしまうのだ。
「オレはジジィじゃあねーんだ。少しくらい動かなきゃあ身体がナマっちまうんだよ」
フン、と鼻を鳴らして皿を取りに行く彼に、手伝いをとイルーゾォも続いて行く。
暗殺チームなどと殺伐とした名前を与えられていた彼らにとって、驚くほど穏やかな時が流れていた。
あの戦いから既に三ヶ月。リゾットはぼんやりと当時の事を思い出す。
何をどうやったのかは分からなかったが、あの時、死んだと思っていた自分は何故か生きていた。
漸く意識を取り戻したリゾットの目に入ったのは、まず最初に泣きそうな笑顔を浮かべていたと、そしてそれぞれ傷だらけになりながらもリゾットと同じようにこの世に生命を繋ぎ止めていた仲間達。
彼女のおかげで生きているのだと言う事は皆一様に理解していたが、当の本人はそれをどうやったのか決して語ろうとはしなかった。
そして、怪我を癒すと言う名目で軽い軟禁状態に置かれる。
シチリアの人気の少ない丘の上に立つこの家を、手段は分からないが彼女は手に入れ、チームの存在ごと彼らをそこへ隠した。
リゾット達は彼女がどんな仕事をして生計を支えているのかは知らない。
だが、組織の追っ手を警戒してか必要以上に彼らを外に出す事を厭い、たった一人でチーム全員の食い扶持を繋いでいる。
彼女一人が何かと矢面に立っているこの状況に異を唱える者がいないわけではなかったが、これ以上チームの仲間を失う事に耐えられないと言われてしまえば、リゾットですらも強く言えなくなってしまう。
何より、追っていたボスは死に、新しいボスが組織を掌握していると知った彼らは、目的を失ったような喪失感を抱え、ただぼんやりと日々を過ごす事に甘んじていた。
「おい、なにぼけっと突っ立ってるんだ。テーブルくらい拭け」
声と同時に顔面に向かって濡れたクロスが投げつけられ、考え事に没頭していたリゾットはそれを顔でキャッチする羽目になった。
その様を見ていたメローネとホルマジオが声を上げて笑い、ギアッチョとイルーゾォも声は上げないものの肩を震わせている。
おろおろとそれを見守るペッシに、プロシュートが料理を皿に盛り付けろと命令した。
「やけに楽しそうね。何かあったの?」
そこへ、着替えを済ませたが顔を出し、おどけて彼女に絡みつきながらメローネが今しがたの出来事を話して聞かせると、しどけない笑顔を浮かべる。
彼女がそう、笑うから、今の生活も悪くないと、リゾットは思ってしまうのだ。



自分の部屋に戻り、一人きりになったの表情は固い。
強い決意のような、覚悟すら感じさせる表情を浮かべた彼女は、ベッドサイドに置いていた鞄に手を伸ばす。
静かに取り出したのは夕方に、雑貨屋で受け取ってきた封筒だった。
もう一度、宛名を検めるが、確かにそれは自分宛ての手紙であるようだ。
『ボス』は運び屋『イザベッラ』にこの手紙の配達を依頼したが、彼は既にイザベッラがである事を知っているようにも思える。
内容は、裏切り者への警告だろうか。
は我知らず、唾を飲み込んでいた。
この三ヶ月、隠し通してきた筈のチームの存在は、確かにボスに知られている。
そうでなくてはパッショーネの印が押された蜜蝋で、暗殺チームに所属していたに宛てての手紙など出す筈が無いのだ。
微かに躊躇う指先が蝋を剥がし、中の便箋を取り出す。
内容に目を通したは歯噛みしたくなるような気持ちを押さえ込みながら更に表情を強張らせた。
書かれているのはたった三行、日時と場所、そしてそこで待っているという短い言葉。
警告も用件も書かれていないその手紙を、彼女は無視する事ができなかった。
直接会わなければならないように、ボスは十分に言葉を選んでその手紙を書き、『イザベッラ』と言う運び屋に託したのだ。
生き残った暗殺チームの存在を隠しながらも、その食い扶持を繋ぐ為に危ない橋を渡り続けるが、必ず『ボス』に会いに来るように。



ジャンルッカ・ペリーコロ。を出迎えたその男は、名前とパッショーネであると言う身分だけを明かし、彼女を中へと案内した。
先の戦いで組織の為に命を捧げた父に代わってボスの傍に仕えていると言うペリーコロの忠誠心は彼女には到底理解できない。
忠誠と信頼が必要なこの世界で、彼等はそれを失ったが為にこのような状況に陥ったのだ。
だが勿論、その事は今のボスには関係のない話だったし、その事を追求する為に彼女が呼ばれたわけでもない事は理解している。
まだ授業が始まる前の人気の無い学校。
何故かボスの指定して来た場所は、そんなところだった。
電気がついていないせいで薄暗い図書室に案内され、一人でその中に足を踏み入れたは、その奥でたった一人、静かに椅子に腰を降ろし書物に目線を落としている少年の姿を見つける。
「貴方が…ボス?」
自分よりも大分年下に見えるその少年がボスであると言う事実に驚きを隠せずその姿をまじまじと眺めやっていると、少年は読んでいた本を静かに閉じて机の上にきちんと置いた。
まだ少年と言っても差し支えのない程に若いその男は、だがボスが指定して来たこの場所にいる以上は確かにパッショーネのボスなのだろう。
当時のチームへの待遇に不満を抱き反乱を決めた、そのボスは死に、新しいボスが今はその地位にいるのだと言う事は知っていた。
だがまさか、そのボスがこんなにも若い少年だったとは。
「こうしてきちんとお会いするのは初めてですね。ぼくの事はジョルノと呼んでくださって構いません」
体ごと彼女に向き直り、爽やかさすら感じさせる笑みを浮かべて少年は言う。
「ディアボロを追って僕達と対峙した事のある貴女なら…いえ、元暗殺チームの貴女なら知っていると思いますが、僕はずっとこのパッショーネのボスだったわけではありません」
その言葉には僅かに警戒を強める。
当時ボスの秘密を追って敵対していた護衛チームの一人、それが彼であると言うのならば、彼女は十分に彼からの報復を受ける立場にあるのだ。
ボス――つまり前のボスであるディアボロの事だが――の正体に近づく為の手がかりとなるであろう娘、トリッシュの身柄を巡って争い、そして傷付いた仲間達の事を思い出す。
がその能力を以って辛うじて命を繋ぎ止めた仲間達は、彼等護衛チームにも傷を負わせた筈なのだ。
「どうぞ座って下さい。そんなに警戒しなくても、ぼくは貴方に危害を加えるつもりはありませんから」
何があっても直ぐに動けるようにと立ったままでいるに、ジョルノはやんわりと座る事を勧める。
僅かに躊躇ったが、こうもはっきりと危害を加える事は無いと断言されてしまっては、そのまま立ち尽くしているのが何故か申し訳ない気がして、は恐る恐る目の前の椅子へと腰を降ろした。
年の割には、と言ったら失礼かも知れないが、落ち着いた色を湛えた瞳が真っ直ぐに彼女を見つめる。
薄暗い館内にあってもなお、年若い彼がまばゆい光に満ちて見えるのは、王者であるが故だろうか。
「私を呼び出した理由を教えてもらっても?」
誰一人として邪魔のいないこの状況でただ二人きり、彼と対峙するのはなんだか心の奥までもを見透かされてしまいそうで。
気圧されそうになるのをぐっと堪えて、手紙をよこした真意を問う。
彼女の言葉ににこりと穏やかな笑みを浮かべたジョルノは、一つ頷いて口を開いた。
「率直に言いましょう。僕は、あなた方の力が欲しいのです」



「ご注意」にも書いたのですが、これから「恥知らずのパープルヘイズ」のネタバレも出てくると思いますので(既にちょっと出ている)、ご了承下さい。
20120529