彼女を撃ち落したのが自分の隊の人間だったから、彼女の面倒を見るのは仕方のない事かと思う。
だが、全くこの状況は想定外だ。
一体何の因果で部屋で麒麟を飼う破目に?



ツンツン




、いつまでもその姿で疲れないのかよい?」
そう尋ねれみれば酷く素っ気無い声で「別に」と返ってくる。
彼女の愛想の無さはいつもの事だがそれにしたって。とマルコは肩を落とし小さな溜息を零す。
その麒麟の姿にもすっかり見慣れてしまったが、部屋の中に獣がいると言うのはどうにも落ち着かない。
「色々と不便だろうよい。少しは人型に慣れろい」
仕方なく、マルコは海楼石で出来た飾りがつけられた首輪を取り出す。
びくり、と赤い鬣が揺れた。
「や、やだ!」
「お前が自分で人型に戻らねェんだから仕方ねェよい」
麒麟の持つ性質のせいで己の性格が矯正される、それに耐えられなくて彼女は麒麟のままの姿でいる事が多い。
だがその姿では食事を含む全ての生活がままならないし、クルー達も接し辛い。
そんなわけでここ最近、彼女の為に特別に用意させた海楼石付きの首輪を使う事があるのだ。
「少しは大人になれよい」
そう言いながらそれを手にじりじりと迫ってくるマルコに、はうっすらと目に涙すらためて脱兎の如く逃げ出した。
「待てよい、コラァ!」
「まーたやってんのか」
マルコの怒鳴り声と蹄が甲板を蹴立てる音、それに続くバタバタとした足音にラクヨウがにやりと笑う。
甲板でラム酒を片手に潮風に当たっていたラクヨウの目の前を赤い体躯の獣と、次いでマルコが船首の方に向けて走り抜けて行く。
やがてどたんとかばたんとか言う大きな音がして走り回る音がしなくなり、暫くどたばたと揉み合う音がしてそれすらも聞こえなくなると。
「ィヤ、やめっ!やめてッ!イヤだッ!」
はたから聞いているとなんだか疾しい事をしているのではないかと疑いたくなるような声で彼女がそれを拒否しているのが聞こえる。
「いいから大人しくしてろい。そのうち慣れる!」
これまたおかしな想像をかきたてられるマルコの声に続いて彼女の声が段々と小さくなり。
「ううッ…」
終いにはそれが啜り泣きになる。
「おいおい、お前らそのうち誤解されるぞ」
苦笑いを浮かべながら様子を見に来たラクヨウが目にしたのは、力の抜けた四肢を投げ出してぐったりとしていると、そんな彼女の上に跨りようよう首輪をつけて汗を拭うマルコの姿。
「…すまん、既にそういうプレイの最中か」
「変な事言うんじゃねえよい!」
「馬鹿な事、言わないで…!」
こっちだって散々だよい、と彼女の上から降りながら言うマルコと、息も絶え絶えなは意外と息が合っていると、ラクヨウは思うが間違ってもそれを口にはしない。
「うう、イヤだ、気持ちが悪い…」
安定しない精神に彼女は泣き言を漏らすがマルコは容赦しない。
「どうしても限界ってまでそのままでいてみろい」
そう言って首輪の鍵をポケットにしまい込んだ。
「マルコって、鬼」
彼が去っていった後、まだ立ち上がる気すらおきない彼女が甲板に転がったまま呟くと、ラクヨウが苦笑した。
「まァ、甘くはねぇわな。アイツもあれで1番隊の隊長。実質副船長みてェなもんだ。それだってお前の事考えてやってるんだろうがよ」
似合ってるぜ。そう首輪を指してラクヨウは笑いながら行ってしまった。
「似合ってなんか、ない」
誰にとも言って、まだ多少ふらつく頭を抑えながらなんとか立ち上がり、気を抜くと込み上げてきそうな吐き気を押さえ込んで歩き出す。
とにかく何か気が紛れる事がしたい、と思った。



「おやおや、これまた酷い顔だなァ。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
船室に入れば余計に眩暈が酷くなりそうで、甲板に積み上げられた木箱にぐったりと凭れかかっていたを見つけたのはイゾウだった。
「そう思うなら、マルコから鍵取ってきて」
「そりゃあ無理だ。可愛いんだからそのままで頑張りな」
カラカラと笑い声を上げたイゾウの手が頭を撫でようと伸びてきたその瞬間、は今までぐったりしていたとは思えない程の速さでその手を払った。
「あ…ごめんなさい…」
思わぬ行動に目を見開いているイゾウに、咄嗟にとは言え手を払ってしまった事を詫びる。
「苦手、なんだ。角のあるところを触られるのは」
そう説明するとイゾウはにっこりと笑ってくれた。
「ああ…そういう事か。そりゃあこっちこそ悪かったな。以後気をつける」
頭の変わりに優しく頬を撫でたイゾウの手が心地良くて、思わず頬を赤く染めた。
そんな彼女の様子が可愛くて、ついつい笑みが零れるのを隠しながら言う。
「そうだな、お詫びと言ってはなんだが少し気が紛れる仕事でもさせてやろう」
素直に頷いた彼女を連れて、イゾウは船室へ降りて行く。向かった先は医務室。
先日、彼女がここに運ばれてきて目を覚ました際、怒りに任せて雷でベッドを一つ粉砕してしまった事を思うと、気が重くなる。
だがイゾウは彼女を容赦なく医務室に放り込んだ。意外と彼も鬼なのかも知れない。
「素直に謝れるのも、いい女への第一歩だよ」
ニヤリと笑って去って行くイゾウの背中を見送りながら、「別にそんなのにならなくても良いのに」と思った。
「あら、先日の可愛いお客様」
声をかけられて振り返ると、ナース達の視線が自分に集まっていた。
居心地の悪いような、収まりのつかない感覚に襲われながらも、は思い切って頭を下げる。
「あの、先日はベッド、壊してしまって、本当に、ごめんなさい」
思いもよらない砲撃を喰らって怒りが収まらなかったとは言えベッドやナース達にはなんの恨みも無い。申し訳ない事をした、とは思っているのだ。
怒りの言葉の一つでも飛んでくるかと思ったが、意外にもナース達から帰ってきたのは優しい笑いだった。
「あら、いいのよ、あんなの日常茶飯事だから。ちっとも気にしていないわ。買い直すのは私達じゃないしね」
さり気なくどうでもいい事、みたいな言い方をしてナース達は笑っている。
宴会の後で酔った某隊長が乱入してきて破壊。とか、怪我をして戦いに出られなかった某隊長がイラついて粉砕。だとか言った事が良くあるらしく、ベッドの買い替えは良くある事らしい。
「はぁ…」
さすが海賊、と言った大らかさに呆気に取られていると、優しく声をかけられる。
「それで、今日はどうしたの?まだどこか痛むのかしら?」
こんな可愛い子に大砲を喰らわせるなんてしょうもない男達ね!と彼女達は言うが、それでも少しの怪我で済んでいる自分も大概だとは思う。
「いえ、痛いところは別になくて…」
事情を話すと、ナース達はそういう事なら、と彼女に簡単な仕事を与えてくれた。
カルテの整理と洗い終わった包帯の巻きなおし。
カルテを先に片付け、次に真っ白に洗われた包帯をくるくると巻いていく。
ただそれだけの作業だったが、集中してやっていると意外と気が紛れた。
頭痛もなんとなく治まった気がして顔を上げると、もう包帯は残っていない。
「あの、終わっちゃったんですけど、まだありますか?」
「あら、もう片付いちゃったの?それじゃあ、お姉さん達と遊びましょう、ちゃん」
にんまり、と言う表現がぴったりの、でもとてもとても魅力的な笑顔を浮かべたお姉さん達に、の背中を嫌な汗が辿った。



頭が痛いのや吐き気はすっかり収まった。けれどこれはこれで目が回りそうだ、と彼女は少しだけ泣きたくなった。
先程から幾度も幾度も洋服を着替えては髪を弄られたりしている。
まだ少女の面影を残す彼女は、色気たっぷりのナース達にとって可愛い妹のような存在になったらしい。
仕事がすっかり片付いてしまって暇になった彼女達は、各々昔着ていた服を持ち寄ってで着せ替えごっこをし始めた。
なんとかお願いして額の角の辺りだけには触れてもらわないようにお願いをしたが、髪を弄られるのにもまだ慣れない。
「それにしてもこれがなければもっと色々アレンジできそうなのに、台無しだわ」
に薄いカーディガンを着せ掛けるナースが柔らかそうな唇を尖らせ、綺麗に整えられた爪で彼女の首に掛かる海楼石を弾いた。
外す事の出来ない首輪のせいで、着せられる洋服のタイプが限られてしまったと、お姉さん達は不満を漏らす。
気にしなければいいのに、と思ったがそういうものでもないらしい。
「マルコ隊長って意外と独占欲が強いタイプなのかしら」
そんな声がしては耳まで真っ赤になって声を上げる。
「あたしは別に!マルコのものとかじゃないですから!!」
女王然とした態度を崩さない彼女も、ナース達にはまだまだ敵わないようだった。



「お前…なんだい、その荷物は。一体どこで増やしてきたんだよい」
「あー、えーとナースのお姉さん達から頂きました…」
暫く姿を見なかったと思えば、両手に大量の洋服を抱えて部屋に戻ってきた彼女に、マルコは盛大な溜息をついた。
早いところ、オヤジにこいつ専用の部屋を用意するように要求しようと、心に決めた。



20100803