若かった頃の彼女は…と言っても彼女は今でも十分若いと思うが…とにかく出逢った頃の彼女は、それはそれはツンツンしていた。
流行のツンデレと言うヤツならまだ可愛げもあっただろうが、彼女にはツンしかなくて、とにかくツンツンしていて、これじゃあもうツンツンどころか女王様だと思ったものだ。



ツンツンツン




「隊長!ちょっと来てください!」
部下に呼ばれてマルコは甲板に上がってきた。敵襲か何かかと思ったがそう言うわけではないらしい。
クルー達はいたってのんびりと、だが珍しいものでも見つけたようで、船の縁にへばりついて上空を指差したりしている。
「何を見てんだよい」
同じように空を見上げれば、何かしらの動物が空を駆けているらしかった。
「なんでしょうね、あの生き物は」
「世界には色んな動物がいるもんだなぁ」
「食べれるのかなぁ。うまいかなぁ」
「ちょっと撃ってみましょうか」
口々に勝手な事を言う部下をよそに、マルコはじっと目をこらしてその生き物を見つめている。
鹿や馬に良く似たその生物は額に一本の角を生やし、その四肢の蹄にはうっすらと雲のようなものまでまとっている。
あれは、もしかしたら見た事の無い生物ではなく伝説の生き物、そう己と同じ悪魔の身の幻獣種なのではないかと気付きマルコが声を上げたが。
既に時は遅く、部下達は本当にその生き物を食べてみるつもりだったのか彼の声を掻き消すかのように大砲の破裂音が響いたのである。
「!!」
驚いた事に見事に命中してしまったそれが空中で黒煙を撒き散らし、次いでその煙の中から小さな人影が落下するのをマルコは見た。
悪魔の身の能力者であるならば海に落ちては自力で上がってくる事はできない。何とか間に合ってくれ、と不死鳥へと姿を変えて空へ飛び出した。



「お前らもう少し気をつけろい」
ぐったりとして意識を失っている少女を抱き上げ、人型に戻ったマルコは軽く部下を叱責してから医務室へと向かった。
いくら自分達が海賊であると言っても、何の罪も無い少女の命を奪ってしまっては夢見が悪い。自分達の軽率な行動を悔やむと同時に彼女が無事に隊長に助けられて良かったと、海賊達はほっと安堵の息をついた。
オヤジの体調管理でいないと言う船医に代わってナース達に彼女を預けた後、その脚でマルコはオヤジのところへ向かう。
たった今起こった(多分)厄介事について報告をする為に。
だが、次の瞬間つい先程後にしてきた医務室から激しい雷の音がして、マルコは走って医務室へ戻った。
「何事だよい!?」
扉を開けるとベッドに寝かせたはずの少女が仁王立ちしていた。
しかもその足元には焼け焦げて粉々にされたベッドの残骸が飛散している。
部屋の中だと言うのにまるでそこに落雷でもあったかのような有様だ。幸いにもナース達には怪我一つなかったようだが、流石の彼女達も驚いた表情で少女を見つめている。
そんな彼女はと言うとその額には一本の角が生えていて、そこから全身に小さな電流が走って時々パリッと小さな破裂音をたてている。
もしかしなくても相当お怒りなのではないだろうか。そう気づいたマルコは落雷の音に驚いて様子を見に来た部下に海楼石の手錠を持ってくるように言いつけ、慎重に言葉を選んで彼女に声をかけた。
「気分はどうだよい?」
「良さそうに見えるの?」
愛想のかけらもない冷え切った声が返ってくる。
「見えねェな。まぁそんなに怒るなよい。とりあえず落ち着け」
「落ち着くってどうやるの?いきなり大砲で撃たれたあたしのこの怒りをどうやったら収められるって言うの!?」
ギロリ、と金に輝く瞳がマルコを射抜いた。
(おっかねぇ娘さんだよい)
苦笑いを浮かべたマルコの耳に、海楼石の手錠を持って急ぎ戻ってくる部下の足音が届く。
「まあちょっと手を出してみろい」
表情一つ変えずあくまでも暢気に言うマルコに、彼女もついつられて馬鹿正直に両手を差し出した。
「おい」
タイミング良く戻ってきた部下に声をかけるとその手に手錠が掛けられる。
「!」
あ、と思った時には既に錠が掛けられ、額の角は一瞬にして消えていた。
ただの女になってしまえばマルコの敵ではない。自分が海楼石に触れてしまわないように十分注意しながら少女を担ぎ上げた。
「迷惑かけちまったよい。後で片付けを寄越す」
ナース達に医務室での落雷事故を詫びて、マルコはとりあえず甲板に向かった。
部屋の中でまた暴れられては敵わない。
潮風に当たれば彼女の怒りも少しは収まるかも知れなかった。
悪魔の身の能力を封じてしまう海楼石によってすっかり力ごと毒気を抜かれてしまったらしい彼女はただ大人しくマルコに担がれるままに甲板へ連れ出された。
手錠から繋がる鎖の端をマストに取り付けられたフックに引っ掛けて彼女を降ろす。
念の為に鎖の範囲から少し外側に腰を降ろした。
「少しは落ち着いたかよい?」
「まぁ。これじゃあね」
忌々しげに海楼石の錠を見つめて返事を返す。
「なんなのよ、コレ。力が全く出ない」
「知らないのかよい。海楼石を」
首を横に振った彼女に詳しく説明してやると、彼女はふうん、とそれきりだった。
「とりあえずお前の名前を教えろよい」

あっさりと名前を教えた事を意外に思いながらも、彼女がここにこうして連れられてくるハメに至った経緯を話してやると。
少女の瞳がクワッ!と見開かれた。
「あたしを、食べようと、したですって!?」
一語一句に力を込めて発声した彼女の細い肩が震えている。もちろん怒りで、だ。無理もない。
自分の能力を使って空中散歩していただけなのに突然大砲で撃ち落され、あまつさえその理由が「食べようと思って」だなんて言われたら誰だって怒る。
「このあたしはね、麒麟はね、とてもとても神聖な動物なのよ。傷つける事は不吉とされるような生き物なのよ。それをアンタ達は撃ち落した上に食べようだなんて…」
ぐ、と頭を深く落としてうつむいた少女は次の瞬間勢い良く顔を上げ、
「貴様ら船ごと呪われてしまえ!!!!」
と言い放った。
いやいやそこは神頼みかよい、と思わずマルコは吹き出しそうになったが、少女が大真面目な顔をしていたのでぐっと堪えなければならなかった。
だが直ぐに力を失ってがっくりと項垂れる彼女に「どうしたんだよい?」と尋ねる。
「もうイヤ。調子が狂う。これ外して。イヤなの、人の姿でいるのは」
そう言ってぐったりとしたまま両手の自由を奪う錠を示す彼女の言葉に、マルコは眉を顰める。
目の前の少女はこの歳でこれ程の力を得、しかも人型でいる時間の方が少ないと言うのだ。
悪魔の実を食べた能力者、特に動物系の実の力を持つものが獣の姿で長くいると言うのは珍しい。
よくよく話を聞いてみればこういう事だった。
彼女はもともと戦いを好むタイプだったらしい。血なのか性格なのかは分からないが、とにかく物心ついた時から女でありながら荒事が大好きで困ったやつだった。
そんな彼女が口にした悪魔の実の一つ、この麒麟の能力を秘めたそれは、麒麟の特性として『温厚』と言うものがあったらしい。
普段は非常に穏やかで優しいと言う麒麟の性質は、彼女の戦いを好むという性質と激しく相反した。
それは彼女の精神を酷く不安定にし、その結果力を解放できる獣の姿を常時とるようになったのだと言う。
力を解放する時の姿、つまり獣の姿の時は闘争心を抑える必要がなくなる。そんなわけで獣の姿がすっかり定着してしまっていたらしい。
「変わった奴だよい」
「分かったら外してよ」
「駄目だい。これからオヤジのところに行くから我慢しろい」
白ひげのところで雷など落とされては堪らない。もう暫くはこのままで我慢しろい、と告げてマルコはマストに引っ掛けた鎖を外す。
「オヤジ…?」
「この白ひげ海賊団の船長の事だよい」
その言葉にはぴくりと反応を見せた。
「この船はエドワード・ニューゲートの船なの?」
よくよく見れば、目の前の男の無造作に晒された胸にはその証が刻まれている。怒りのせいとはいえ今まで全く目に入らなかったのが不思議なくらいだ。
「ねえ、貴方の名前は?」
「おれはマルコってんだよい」
少女の身体が再び揺れた。
「貴方が、不死鳥マルコ…?1番隊の隊長?」
自由気儘に海を駆け回っていた彼女の耳にも白ひげ海賊団とその隊長達の名前くらいは届いている。
目の前の男がまさにその人物なのだと知って、彼女は驚きを隠せずにいた。
自分がまさかあの白ひげ海賊団に拾われたとは思いもよらず、はなんでこんな事になってしまったのだろう、と小さな溜息をついた。



「おめぇが『じゃじゃ馬』か。言う程じゃじゃ馬にゃあ見えねえな」
「まさか『白ひげ』に名前を知られているとは思わなかったわ」
(怖いもの知らずなお嬢さんだよい)
あのエドワード・ニューゲートと対峙して微塵も臆する事のないその態度に、少しだけ感嘆した。だがそれは無知にも似ていて、マルコは苦笑する。
「おめぇ、帰るところはねぇんだろう。おれの娘にならねぇか」
思いもよらなかった彼の言葉には無自覚のうちに下唇を噛んでいた。
故郷を飛び出し海へ出たものの仲間を作るでもなく、ただ戦いを求めて戦場や海を彷徨い続けた。
気儘に暴れ回る、そんな彼女はいつしか人々から『じゃじゃ馬』と呼ばれるようになっていた。
僅か一年で知る人は知っている、そんな存在になり。
海賊ではないので賞金こそ掛けられる事は無かったが、色々な方面から目をつけられているであろう事は想像に難くない。
そうしてこの男には帰る場所が無い事すら知れていた。
「無理にとは言わねぇが、おめぇもそろそろ宿木が欲しいんじゃねぇか?」
「別に!あたしは、そんな…!」
思わず声を上げたが海楼石のせいですぐに力を失った。
「あたしは、女だし、」
「おれがそんな小せえ事に捕らわれるように見えるのか?おめぇ程の力があれば女でも構わねぇさ」
白ひげの言葉に激しく揺さぶられている彼女を見て、マルコは少なからず驚いていた。
あの女王然とした態度を頑なに崩そうとしなかったあの少女が揺らいでいる。
「まぁ、今すぐ答えを出せとは言わねぇ。怪我が治るまでここでゆっくり考えろ」
グララララ、と笑う白ひげの声を背後に聞きながら部屋を後にした。



20100803