ッ!」
久し振りに聞いた、だが聞きなれた声がしてまさかと思ったが。
腕を掴まれて振り返れば想像通り、人懐っこい笑顔がそこにあった。



Who loves more?




ログが溜まるまでの間の暇つぶしとして、その島唯一の街にある酒場へと向かう途中の出来事だった。
彼女の腕を強く掴んで離さない、その赤い髪の男のには見覚えがある。顔に走る三本の傷。
「お前、『赤髪』だな」
通り名を呼んだマルコに、男はニヤリと笑みを返した。視線がその胸の印を捕らえる。
「お前は白ひげのところの1番隊隊長マルコだな」
二人の間に見えない火花が散った気がして、腕を掴まれたままその間に挟まれたは面倒臭い事になりそうだと言わんばかりの表情をしてみせる。
一緒にいたサッチ達に先に行っててくれと手を振ると、頑張れよなどと何故か応援されてしまった。
応援されるような事など何もない、と憮然としていると。
「ちょっとコイツを借りてもいいか?」
ぐい、と引き寄せられて肩を抱かれる。
ああ、この男わかっていてわざとやっているな。と思いながらマルコを見やれば予想通り、不機嫌さを微塵も隠そうとせずにこちらを睨んでいる。
「シャンクス、分かってて挑発するのやめてくれないかな」
昔からスキンシップの激しかった彼の胸を押しやって距離を取ろうとすると、強い力で再び引き戻された。
「いいじゃないか、久し振りなんだから。おれの事、忘れたわけじゃないだろう?」
マルコの肩がピクリと揺れて、はうんざりとした。何もかも解っている上でこういう悪ふざけをする。それは彼の昔からの悪い癖だ。
やはり面倒臭い事になってしまった。
「乗らないで、挑発だから」
マルコの方を宥めるのが先だろうと声をかけると、自由な方の腕を掴まれた。
「とりあえずお前はこっちに戻ってこい」
ぐい、と身体を引かれ肩からシャンクスの腕は離れたが、するりと抜けていく腕を捕られる。大の男にそれぞれ両手を取られた彼女は、大きな溜息をついた。
「その手を離せよい」
マルコの声をわざと無視して、シャンクスはを見やる。
「全く、知らぬ間に飛び出して行ったと思ったらいつの間にか海賊になんかなってやがって」
「私を置いて先に飛び出して行ったのはそっちでしょうに!」
「おれは待ってろ、って言ったぞ
「なんで私がアンタを待ってなきゃいけないのよシャンクス!」
はたから聞くと全く痴話喧嘩にしか聞こえない。女を置いて海へ飛び出した男と、そんな男を追いかけて海へ出た女だ。
言い合いをしている二人に、マルコのこめかみに浮いた青筋がヒクリと動いた。
ヒートアップしてくると回りが見えなくなるのは未だ直らぬ彼女の悪い性質だ。ついまともにシャンクスの相手をしてしまってマルコの事を忘れた。
「あ、」
と声を出した時にはもう遅い。
存在を無視されて怒りに肩を震わせるマルコの姿があった。
「おい、お前自分が誰のもんか忘れてねェかい?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて!少し頭冷やそうか、ね?」
いつの間にかシャンクスから解放されていたその身体を引き寄せ、細い顎を掴む。
赤髪の前であるにも関わらず顔を寄せてくるマルコに身を引くが、腰に回された腕はそれを許さない。
「ちゃんとその身に教えてやらねえといけねェな?」
「おーやれやれー」
自分でけしかけておいて人事のように囃し立てるシャンクスに、は厳しい視線を投げつけた。
「うるさいもう!兄さんは黙って!」
怒鳴られたシャンクスは肩を竦めるフリだけをしておどける。
「兄…さん?」
その言葉にようやく冷静になったマルコがまじまじと彼女の顔を見つめた。
「兄さん、よ。シャンクスは」
再度告げれば、滅多に見れない呆気に取られた表情で、マルコは二人を見比べる。
「見れば分かるでしょう、この髪!」
彼女が自分とシャンクスの赤い髪とを交互に指差す。
確かに二人とも赤い髪だが、それだけで解れと言うのは少々酷ではないだろうか。赤い髪の人間はみな兄弟とでも言うつもりか。
「だっはっはっは!面白いもん見た!」
当のシャンクスは今までの険悪な雰囲気など全く無かったかのように大笑いをしている。
「ごめん、マルコ。兄さんこういう悪ふざけが好きで…」
申し訳なさそうに眉を寄せる彼女に罪は無い。その代わりにシャンクスに鋭い目線を向けておく事にした。
「もう終わりか?残念だ」
全く悪びれる気配のないシャンクスはそう言いながらマルコに手を差し出した。
「改めて、宜しく。おれはシャンクス。こいつの兄貴だ」
その手をパシンと叩くだけの握手とも言えないような握手を交わして、三人は連れ立ってサッチ達が向かった酒場に向かった。
お互い航海の途中。ログを溜めるのにこの島に寄っただけ。ここで出会ったのは本当に偶然だった。
「なんだ、元彼と今彼と両方連れてきたのか!」
酒場の戸をくぐればサッチがニヤニヤと声をかけてきて、は「シャンクスは私の兄さんだから!」と声を上げたのだった。



「いやーこいつが大人しく待ってるとはおれも思わなかったけどな。まさか『白ひげ』のところにいるとは思わなかった!」
何故か、マルコとシャンクスと三人で卓を囲む事になってしまった。
すっかり打ち解けた気でいるシャンクスは上機嫌でジョッキを次々と空けていく。酒に強い事は知っていたから別段止めようとは思わなかったが、素面でこのテンションは若干ついていけない。
食えねェ男だ、とすっかり苦虫を噛み潰したような表情でシャンクスを見ているマルコと、そんな視線に気づかないフリのシャンクス。
全く面倒な組み合わせだ、と彼女の溜息は留まるところを知らない。
サッチや仲間達は少し離れた卓を囲みながら面白そうにその様子を傍観している。
「お前、白ひげのところで何やってんだ?」
そう尋ねられて「これでも隊長をやっている」と答える声にマルコの声がかぶる。
「おれの女だよい」
「ちょ…!」
わざわざそんな言い方をしなくても!と彼に視線を送るが「何か文句でもあんのかよい」と言わんばかりの顔で返されてしまえば、もう口を出す気にもならない。
「もう、いい。兄さんとマルコと、ゆっくり話ししたらいいよ。ゆっくりね」
なんだかどっと疲れてしまって、は席を立った。
二人の間を執り成すつもりだったが、もう面倒なので二人で顔を突き合わせて気が済むまで話をしたらいいと思う。
カウンターの席に移動してそこに居たイゾウ相手に愚痴り始めた彼女を見て、シャンクスは楽しそうに笑っている。
「アイツ、暫く見ないうちにすっかり『女』になりやがった。そうさせたのはお前だろう」
ニヤリと笑うシャンクスに、だがそこまで答えてやる義理もない。飄々とした態度でジョッキを傾ければ彼の笑みは更に深くなる。
「なあ、お前ウチに来ないか?お前がウチに来てくれりゃあアイツも戻ってくると思うんだがなあ」
「…純粋な引き抜きか、アイツを取り戻したいのかどっちだよい」
そう尋ねれば、彼はニヤリと笑って言う。
「両方だ。アイツが戻ってきてお前が手に入るなら言う事はない」
ちゃっかりした男だと思いながら、マルコは己の胸を人差し指で叩いた。
「なんの為にコレを背負ってると思ってんだい。そんな簡単に行くかよい」
無碍に断られても、シャンクスは気を悪くする事も無く、また大声で笑う。
「そりゃそうだ!」
「アイツだって、もうオヤジの印を背負ってる。今更てめェのとこにゃ戻らないだろうよ」
「自分でおれのところに来たいと言ったら?」
笑顔を崩さず冗談だと思わせておきながら、不意に本気を見せる。やりづらい相手だ、とマルコは眉をしかめた。
「本人に聞いてみろい。アイツの意思がそうだってんならオヤジは文句は言わねェよい」
敢えて『オヤジは』と言ったマルコにこっそりと苦笑しながら、シャンクスは妹を呼びつけた。
「なぁに?兄さん」
話が終わったのだろうかと、カウンターから立ち上がった彼女を真っ直ぐ見つめる。
「お前、真面目におれの船に乗らないか?マルコも一緒に来てくれたら凄く嬉しいんだがな」
そう言うとは一度だけ瞬きをして、微塵も表情を変えずに言った。
「それ、本気で言ってるの?本気で私が兄さんの船に行くと思ってるの?」
その言葉にマルコの顔に笑みが浮かんだ。勝ち誇ったようなその表情に、シャンクスも参ったと肩を竦める。
「シャンクスは私の兄さんだけど私の『親父』はオヤジだけよ。今更他の船に乗るなんてできないし、するつもりもない」
背負った『白ひげ』の証はもう自分の一部なのだ。今更他の船に乗るなんて考えられない。
あの日海へ出た事を、白ひげの船に拾われた事を、微塵も後悔などしていないし、無かった事にもしたくない。
例え兄と道を違えてしまったとしても、その身体に刻んだ証に違うような生き方など出来ないのだ。
それから、と視線をちら、とマルコに投げる。
「マルコの傍も離れられない」
微かに顔を赤くさせながら小さな声で、それでもはっきりとシャンクスには聞こえるようにそう告げる。
大切なものも、守りたいものも、愛しいものも、全て白ひげの船に見つけてしまった。
だから、なんと言われようと兄の船に乗ることは出来ない、と告げれば。
「わかってるさ」
と、兄は優しく微笑んだ。
もう、話は終わった。これ以上の馴れ合いは不要だと、シャンクスは席を立つ。
その背に「おい、赤髪」とマルコが声をかけ。
振り返った彼に向かって不適な笑みを浮かべて見せる。
「てめェの妹はちゃんとおれがもらってやるよい」
ニヤリと笑ったマルコには再度顔を赤く染め、シャンクスは快活な笑い声を上げるのだった。



20100808