最後まで私と彼の事を思ってくれた頼もしい兄も
私を慕ってくれた可愛い弟も
こんな私を「娘」と呼んでくれた優しいオヤジも
私は誰一人、助けられなかった



夜明けは未だ遠い闇の中に




風にはためく海賊旗と白ひげのマント。
それを着ていた人間がもういないだなんて信じられなかった。
その隣にはテンガロンハットとエースの使っていた短剣。
マリンフォードの戦いは白ひげ海賊団と傘下の海賊達の体に心にも大きな傷を残した。
多くの海賊達で埋め尽くされたその島の頂上に立てられたエースとエドワード・ニューゲートの墓、その前に二人の男が佇んでいる。
「アイツはどうしてる?」
シャンクスが尋ねる人物が誰の事か、マルコにはすぐに分かった。
「相変わらずだよい。まだ起きねェ」
あの日、目の前でエースを、オヤジを失ったは派手な大立ち回りをし、シャンクスにようやく止められた。
若干無理矢理に暴走を止められた彼女は糸が切れたようにふつりと気を失い、それから未だに眠り続けている。
精神的にも肉体的にも色々と限界を迎えていたのだろう。今はナース達が彼女を看ているはずだ。
「おれがどうこう言える立場じゃないが」
そう言ってシャンクスはマルコを正面から見やる。
の事、頼んだぞ。あんなお転婆だが、おれの可愛い妹だ」
「…言われなくても分かってるよい」
「お前、早くアイツに子供でも産ませろよ」
思いもよらない言葉にマルコが呆気に取られた表情を見せるのを、シャンクスは笑った。
「それが兄貴の言う事かよい…」
「心配なんだよ。アイツ、キレると周りが見えなくなるからな。子供でもできりゃあ少しは落ち着くんじゃないかと思うんだが」
それがシャンクスなりの心配なのだと分かったマルコはそれ以上は何も言わなかった。
そうして自分達の船へと戻って行くシャンクスを見送ってから再び二人の墓に向き直る。
誰一人、口を開く者はいなかったが時折どこからか小さな啜り泣きが聞こえて来た。
酷く物悲しい時間だけが過ぎて行く中で、一人また一人と船へと戻って行き、やがて墓の前にはマルコとジョズ、ビスタの三人だけが残った。
「マルコ、おれ達も一度船に戻ろう」
家と決めたモビーディック号はなくなってしまい、戻ると言っていいものかどうか迷ったが、そう言うしかなかった。
返事はしたものの未だに墓に背を向ける気配のないマルコを、ジョズもビスタも急かそうとは思わず、暫く三人はそこに佇んでいた。
どれだけそうしていたのだろうか。日が落ち始め、辺りが暗くなって来た頃にイゾウが再びやってきた。
「まだいたのか、ここに。気持ちは分かるがマルコ、船に戻ってくれないか。…が目を覚ました」
その言葉にようやくマルコは船に足を向ける。



医務室として使っている船室の一つに、は寝かされていた。
大暴走の際に海軍の目を引き格好の標的となった彼女の体は殆どその肌が見えなくなるくらい包帯が巻かれていて痛々しいことこの上ない。
「気分はどう?
彼女が目を覚ました事に気付いたナースの一人がそっと傍にやってきて尋ねる。
「どこか痛むところはある?」
その言葉に小さく首を振った。流石に幻獣種の力を要しているだけあって回復力は並みの人間以上のようだ。
「お腹はすいていない?アナタ、二週間も寝ていたのよ」
驚く程の日数、彼女は眠り続けていたのだが、空腹は感じていなかった。
それよりも。
酷い喪失感が全身を包んでいる。理由など考えるまでも無い。大切な人を、家族を、たくさん失ってしまった。
助けたかった存在は伸ばした手の指先だけを掠め、逝ってしまった。
「本当に大丈夫?」
先程から一言も口を開こうとしないに、ナースが心配して声を掛ける。
だが同じように首を振るだけの彼女に、ナースが肩を竦めたその時に。
「入ってもいいかい」
聞こえた声はマルコのもの。そして返事を待たずに彼はその姿を見せた。
具合はどうだと尋ねるマルコに応えるのはナースで、は未だその体をベッドに横たえたままだ。
「少し、外してくれねェかい」
マルコの言葉に一つ頷き、何かあったら呼んでくれと残してナースが部屋を去ると、彼はベッドの端に腰を降ろした。
「おれだけならいいだろい。好きなだけ泣けよい」
声を掛けると彼女の顔がくしゃりと歪んだ。次いでその瞳から次々と涙が零れ始める。
他人の前では泣けない女が、自分だけは傍にいる事を許した事実に少しだけ安堵しながら、マルコはその顔を大きな手で覆ってやる。
その口から小さな嗚咽が漏れ始めるのを聞いているマルコの胸も再び締め付けられるように痛み出し、空いている手で自分の顔を覆って暫く俯いていた。
最終的にはマルコに縋りついて泣き、漸く落ち着いた彼女が唐突に口を開く。
「マルコ、私、ちょっと飛んで来てもいいかな」
突拍子も無い言葉にマルコは目を瞬かせる。
「どこに行くつもりだよい」
「少し、世界一周してくる…」
その言葉に思わず舌打ちが出た。この女は昇華し切れない感情を抱えたった一人でもがいている。
「…バカかよい。そんな事してどうするんだ。今の状況でお前一人行かせられるワケ、ねェだろい」
「でも…でも!」
「一人で泣こうとするんじゃねェ!」
声を荒げたマルコはそれでも優しく強く彼女を抱き締める。
その胸に縋り付く彼女の瞳からはまた涙が零れ始め、先程よりもずっと激しい嗚咽がマルコの耳に届いた。
「私ッ!…サッチも!エースも!オヤジも!誰も助けられなかった!みんな、目の前にいたのに…ッ!!」
叫ぶように口にした言葉に、彼女を抱くマルコの腕に更に力が篭る。
サッチを失ってしまった日から、彼女はずっと傷ついたままだった。滅多にそれを表に出す事は無かったが腕の中で冷たくなって行ったサッチの事を、未だに夢に見る事がある。
そうして今度は可愛がっていた弟と、オヤジと呼んで慕っていた男を失った。
「まだ、おれがいるよい。…おれだけじゃねェ。ジョズもビスタも、ナース達も。お前の家族はまだいるだろい」
失ったものは確かに多かったし大きかった。けれどまだ全てが無くなってしまったわけではないから。
まだ、歩いて行かなくてはならないのだ。遺された者として。自分も、彼女も。
「オヤジを海賊王にしてあげたかったのに!…エースをもっと愛してあげたかったのに!」
子供のように声を上げて泣き始めた彼女を、マルコは止めようとは思わなかった。
「好きなだけ泣けばいい。だけど一人で泣くな、。約束しろい」
答える声は無かったが、背中に回された彼女の手がきつく服を握り締めるのを感じて、マルコはその身体を強く引き寄せた。



20101105