マルコとそう言う仲になったとは言え、これと言って何が変わる訳でもなかった。
一般的には『恋人』と言う仲である筈だが海賊である自分達が普通の恋人達のような事が出来るとは思わなかったし、もそうなったらそうなったで戸惑うばかりなのは目に見えていたから、これはこれで良いと思っていた。
だが確かに、あの日から二人の。特にマルコが纏う空気は変わったのである。



その、翌日に。




新しい任務の話も無かったので、は珍しく朝をだらだらとベッドの中で過ごしていた。
目は覚めていたし身体もだるいわけではなかったが、どこかふわふわとした気持ちを持て余してごろごろとベッドの中で転がる。
『自分のモノになれ』と、強い思いを告げてくれたマルコが脳裏に浮かぶ。それから、噛み付くように与えられた忘れられぬ口付けと。
全てがを、痺れさせるように、それでいて心地良い甘さに引き摺り込む。
まるっきり乙女のような思考に浸っている己を、らしくないと自覚はしているがそれでも、長く胸に沈めていた想いが報われたと言う事実は彼女を舞い上がらせた。
例えそれが、一般の言う恋人同士の姿と大分かけ離れていたとしてもだ。
『おれの女になれよい』と告げられた言葉を頭の中で反芻していると、不意に扉がノックされた。
次いで呼ばれる己の名。その声が今まで脳内で反芻していたものと同じである事に大いに動揺しながらベッドから飛び出す。
「まだ寝てたのかよい」
開かれた扉から姿を見せた彼女がまだ、部屋着姿であるのにマルコは苦笑を浮かべた。
「いや、起きてはいたんだけど…」
まさか昨夜の思い出に浸っていましたとも言えず言葉を濁しているとマルコが小さく笑ったのが気配で解った。
「早く着替えろ。飯食いに行くよい」
わざわざ朝食に誘う為だけに声を掛けて来たのかと思ったが、今の自分達はそうあっても構わない仲にあるのだと気付いたの頬に微かに赤みが走る。
それに気付いたマルコがニヤリと口角をあげ。

名前を呼ばれたかと思えば顎を捕らえられ、そのまま軽く上を向かされたと思えば次の瞬間には唇を塞がれている。
「それとももう一度ベッドに戻るかい?」
突然のキスの余韻に浸る間も、呆ける暇も無く意地の悪い質問をされて、はこれでもかと言うくらいに顔を赤くしてマルコの胸を押した。
「着替えてくるから…ッ!」
部屋から追い出され扉を閉められたが、マルコはそれでもくつくつと肩を揺らして笑っていた。
どんどんと女になって行ったかと思えばこんな風に可愛らしい反応を見せる彼女から、どうして目が離せようか。
ようやく手に入れたと安堵する間も無く、次から次へと欲は溢れる。
もっと彼女の色んな顔が見たいと。もっと彼女を独占していたいと。
『じゃじゃ馬』などと呼ばれていた癖に、いつの間にか一端の女になってこんなにもこの心を捕らえる。
「恐い女だよい、お前は」
未だ開く事の無い扉に向かって小さく呟いた。



マルコとが揃って食堂に入って来たのを目聡く見つけたサッチがニヤリとした笑みを浮かべた。
手を上げて合図すると二人はサッチのテーブルへとやってきて並んで腰を降ろす。
顔に笑みが浮かぶのを抑えられないサッチをじろりと見やってマルコが口を開いた。
「あまり見るんじゃねェよい」
「いいだろ、別に。減るモンじゃねェし」
散々周りを(主に隊長達を)ヤキモキさせたこの二人がようやくくっついたのは、サッチにとっても喜ばしい事で。だがそれと同時に今度はからかい甲斐のあるネタが出来たと、ついつい意地の悪い事を思ってしまう。
「確実にの何かが減りそうだよい」
「何かって何よ」
憎まれ口を叩くマルコに苦笑いを浮かべる。なんだかんだでお似合いだと、サッチは思う。
「それで、お前らおれに報告はねェのかよ」
報告されるまでも無く二人がくっついた事は解っていたのだが、それでも二人の口からちゃんと聞かなくては気が済まないとサッチが問えば。
「是非おれ達にも報告願いたいもんだねェ」
いつの間にかやって来ていたイゾウが言いながらサッチの隣に腰を降ろす。同じようにマルコの隣にはビスタが。イゾウとは逆のサッチの隣にはラクヨウが腰を降ろしている。
彼らが何を聞きたがっているのか理解したは今にも机に突っ伏しそうなくらいに俯いてしまった。その耳が真っ赤になっているのに気付いたイゾウが肩を揺らす。
「…ここで言う事じゃねェだろうよい」
朝飯時の食堂には人も多く、自分は兎に角彼女には酷だろうとマルコが言えば。
「そうかそうか。じゃあこれから隊長会議だな」
「会議開く程の事かよい!」
ニヤニヤと言うラクヨウにマルコが噛み付く。
「観念して言っちまえって」
サッチの一押しに深い溜息をついたマルコが周りに響きにくい低い声でポツリと。
はおれの、」
そこまで言ったところで隣から悲鳴にも近い声が上がった。
「何のイジメなのコレッ!皆のバカッー!」
言うと同時に赤い旋風が食堂を駆け抜けた。
麒麟の姿をした彼女が逃げるように去って行ったと気付いたのは隊長達だけで、食堂にいたクルー達は何が起こったのかと呆けた表情をしている。
マルコを含めて隊長達も一瞬驚いた表情をしていたが、直ぐにそれが笑みに変わり。
「ぶはっ!!なんだアイツ!!あんな可愛い反応しやがって!!」
サッチの声を皮切りに大きな笑いの渦が起こる。
マルコですらも苦笑いを浮かべてやれやれと肩を竦めて立ち上がった。
「マルコ、を泣かせたらその時はおれが許さないぞ」
彼女にはとことん甘いビスタがその背に声を掛ければ、振り返ったマルコはニヤリと口の端を上げる。
「お前らこそあんまりおれの女を苛めるんじゃねェよい」
「言うじゃないか、マルコのヤツも」
飛び出て行ってしまった可愛らしい妹を追いかける為に食堂を出て行くその姿を見送りながらイゾウが艶やかな笑みを浮かべた。
「もどかしいもんだったがいざくっついたとなると複雑な気分だな」
妹として彼女を大切にしていたビスタは指先で髭を扱きながら言う。
「まァ、相手がマルコなら心配する事なんて無いだろう」
本来の目的である朝食に手を伸ばしながらラクヨウが気楽な声を上げれば、ビスタもそれもそうかと頷いた。
「むしろの方が心配だな。あんな調子でこの先どうなるんだよ」
マルコだって男なのだ。いつまでも初々しい恋人ごっこを続けていられるわけがないと仄めかすようにサッチが言えば。
「まだまだ目が離せそうにねェなァ」
その意図を正確に推し量ったイゾウが意地の悪い笑みを浮かべた。



甲板に出てマルコは直ぐに船首を目指す。何かあれば彼女はそこへと向かう事を知っていたからだ。
鯨の形を模したそこへ辿り着けば思った通り、舳先に蹲る彼女の姿とそれに寄り添うように座り込んでいる二人の女の姿があった。
あれは確か彼女の隊の女達で、もっと言うならばサッチとイゾウの女だ。
ニヤニヤと笑みを浮かべていたサッチとイゾウの姿を思い出したマルコの眉間が微かに顰められる。
「悪気はないのよ、。ただ、貴方とマルコ隊長がくっついたのが嬉しいだけなのよ」
言いながらその背を宥めるように撫でているブロンドの髪の女の言葉が聞こえ、心の中で反論する。
嬉しい、のは確かかも知れないがそれ以上に楽しんでいるのが本当だと思う。
それでも彼女達には罪は無い。足音を立ててそちらへ向かえば二人の女が振り返る。
「ほら、貴方の愛しい人が来ましたよ」
黒髪の女が着物の裾を引き摺りながら立ち上がり、ブロンドの女がそれに倣う。
「マルコ隊長、あとお願いしますね」
「お前ら、アイツらどうにかしろよい」
すれ違い様にそう言えば、黒髪の女が肩を竦める。
「私達でどうにかできるでしょうか」
「一応、言ってはおきますけどねェ」
くすくすと笑いながら去って行く二人を見送ってからの隣へと腰を降ろす。
「…マルコ、皆意地悪だ」
すっかり拗ねたような口調でそう呟く彼女は、確かに仲間達が言う通り可愛らしい。
まだ色恋事に慣れないその様はからかいたくなるのも仕方が無いくらいに、愛らしい。
「まァ、そのうち飽きるだろうよい」
『そのうち』が大分長いかも知れないがと思いながらも、それは言わずにおく。
「そう拗ねるな。お前がそんな反応すればする程、アイツらだって調子に乗るんだからよい」
言いながらその身を、己の膝の間に引き込んだ。
向かい合って座り込んだまま、その額に軽く口付ける。
少しだけ耐えるような表情でそれを享受したの手がマルコの服を掴んだ。
「あたし、何も知らないガキだし。…マルコ、本当にあたしでいいの?」
人を好きになった事は幾度かあれどその想いが通じた事など初めてで、どうしたら良いのか解らない。
何事にしたってついつい受け身になってしまう自分は、マルコなどからしたら物凄くつまらないのではないかと。
仲間達からからかわれてしまうくらいに、自分は何も知らない。好きだと思う気持ちばかりが先走って、どうしたらそれを彼に伝えられるのか。
満たされたこの思いを、彼にだって与えてあげたいと思うのに。
今朝は確かに幸せの最中にいたと言うのに、たった数時間であっと言う間に気分は沈んでしまった。
「つまらねェ事言ってんじゃねェよい」
ぐいぐいと強く引き寄せられ、ついに彼女の額はマルコのその、誇りが刻まれた胸へと押し付けられてしまう。
「おれは、お前に惚れてるんだ。もっと堂々としてりゃいい」
その言葉に、確かにの心は嬉しいとざわめく。
こんなにも簡単に沈んだ気持ちを掬い上げてしまうマルコには、きっと、これから先もずっと頭が上がらないのだろうとは悟る。
「マルコ…」
ポツリと彼の名を呼べば、その手が優しく髪を撫でて。
「それに、お前はガキなんかじゃねェよい。お前の仕草が、その顔がどんなにおれを誘ってるか…もう少し自覚しろよい」
言いながら首筋に軽く指を滑らせると勢い良く上げた顔が一瞬にして朱に染まり、驚いたような表情でマルコを見やる。
なんだかんだ言って自分だって彼女をからかってしまっていると気付いたマルコが思わず苦笑した。
だがその可愛らしい顔を。初々しい反応をもっと見たいと思ってしまう。
「ガキだなんて思ってねェよい。お前の全部をおれのモノにしてェと、思ってるくらいだからな」
もっとと欲張る己の心に苦笑しながらもそう告げると彼女は耳まで赤くしたその顔を、マルコの肩に埋めて隠してしまった。
それでも。
「あたし、マルコが好きだから」
小さくもしっかりと告げられるその思いにマルコは耳を傾ける。
そして次の瞬間。
「あたしの全部、マルコにあげるから」
予想もしていなかった思いを告げられて思わず彼女を抱き締める腕に力が入ってしまった。
それに思わず身体を強張らせたに『もう少し、待ってね』と小さく告げられてマルコは思わず苦笑した。
「待っててやるが、あまり焦らすなよい。いつまで耐えられるか分からねェよい」
いつの間にかすっかり女になってしまった彼女を。こんな可愛らしい女を前に、どこまで己の理性が保つものかと。
だが出来るだけ、その初々しい心は大切にしてやりたいと、マルコは彼女の柔らかな髪を撫でつけた。



20101130