All in this tiny world
このちっぽけな世界の全て
第一話
『お嬢』と誰もがアタシの事をそう呼ぶ中で、ただ一人、彼だけはアタシの事をちゃんと名前で呼んでくれた。
アタシはそれが酷く嬉しかった。
だけど彼だけが呼ぶアタシの名前に何の感情も込められていない事も知っていた。
アタシはそれが酷く悲しかった。
彼はただ、アタシが『オヤジの娘』ではなく一人の個人であると言う事を尊重してくれているだけに過ぎないと知っている。
アタシの親父は背中に彫物を背負っている、所謂極道モンだ。
その事で色々と苦労したり、辛い思いをした事もあったけれど、親父の娘である事を憎んだ事など一度も無かった。
ただ、一つの事だけを除いては。



「また、派手にやったない」
予定時刻を過ぎて帰宅すれば玄関をくぐるなりそう声を掛けられ、は軽く肩を竦めた。
親父の娘であると言う事。それは平穏な人生など望めないと言う事だ。
敵対する勢力にとっては十分と利用価値のあるその身は、いつだって危険に晒されていて、幼い頃から彼女は自分を護る術を身につけていた。
今日も何人かの男達に囲まれたが、軽くいなしてから増援の来ないうちにその場を後にした。
髪は乱れたし頬や腕に多少の掠り傷は負ったものの、無事だと言える範疇だ。
それでも心配性の彼にとっては『派手』に見えたのだろう。それが単純にその身を心配してくれているからなのか、彼女が『オヤジ』の娘であるからなのかは、最近では考える事も嫌になってやめた。
「大した事じゃないわ、マルコ。まともにやり合ってなんか無いもの」
そう返すと小さな溜息と共に。
「女が顔に傷なんか作るんじゃねェよい」
小さな掠り傷をそっと拭うように頬に手が触れる。
それだけでいい、なんて殊勝な事を言えなくなってしまったのはいつからだったか。
「…心配させてごめんなさい」
だからもう、そんな風に触れないで。と心の中で叫ぶ。
優しく触れられるだけではもう、物足りなくなってしまった。
もっと熱く、激しく触れてもらえたら、どんなに幸せな事か。
幼い頃から親父に次いで一番近くにあったその存在に焦がれるようになったのはいつからだったか。
それでも、自分の立場や彼の立場や親父の事を考えると、ただその慕情に任せて好きだなんて口にする事はできなかった。
何も知らない小娘のようにその思いをぶつけられる程、彼女は幼くも無かったし、そんな世界には生きていなかった。
「オヤジが呼んでるよい。早く行ってやれ」
こびりついた小さな返り血を拭ったマルコの手が何の感情も残す事無く引かれていくのを、は無表情を装って見つめる。
それから只一つ頷きを残して背を向けた彼女を、マルコはもう一度小さな溜息をついて見送った。
彼女の父親が待つ部屋へと向かうその背を静かに見送ったマルコの表情に、どんな感情が浮かんでいたのかなんて、彼女はもちろんマルコ自身ですらも分かりはしなかった。



「親父。今帰ったわ」
声をかけながらするりと障子を開けば、そこには彼女の実の父親でありこの大きな組織を纏め上げている男がどっかりと胡坐を組んで、まだ夕飯も済ませていないうちから酒を煽っていた。
それでも彼が酒に飲まれている訳ではなく、彼女が入って来たのを認めるとその顔にいくらか穏やかな笑みを浮かべて娘を出迎える。
「まァたマルコに小言言われたんだろう」
少々乱れた髪と、頬に残る微かな傷跡に白ひげと呼ばれる男がニヤリと笑みを浮かべた。
何一つとして、その歳に見合ったような生活を送らせてやる事が出来ないのを申し訳なくは思っていたが、それでも泣き言も不満も零す事なくこうして逞しく育ってくれた娘は、彼にとって目に入れても痛くないほどの存在だった。
「マルコは心配しすぎなのよ。あたしだって親父の娘だもの。自分の身を守るくらいならできるのに」
組の中で若頭と言う重要な位置にいるその男は、組長である白ひげの事はもちろん彼の娘の事も色々と気にかけてくれていて、極道の娘と言う運命を否応無しに押し付けられた彼女の身をいつだって案じてくれている。
それを有難い事だと分かっていても心配性だと言ってしまう彼女の若さに、白ひげは彼女には気付かれない程度に小さく苦笑を浮かべた。
「それはそうと、何か用事があったんじゃないの?」
わざわざマルコを使って呼び出したくらいなのだから話があるのだろうと、彼女は父親に向き合って畳の上に腰を降ろす。
血の繋がりがあるのだから畏まる必要は無いのだけれど、父親として、組長として、一人の男として尊敬を抱くその男に対峙する時、彼女は必ず居住まいを正す。
そんな彼女の矜持を好ましく思いながら、白ひげは手にしていた盃と酒瓶を横に押しやり、同じように姿勢を正した。
娘に対して居住いを正す、それだけで彼がこれから口にしようとしている話の内容に想像がつき、胸の奥がしくりと痛んだ。
もちろんその痛みを父親に気取られぬよう、彼女は平静を装ってはいたが。
「オメェ、そろそろ二十歳になるんだったなァ…」
ああ、やっぱり。とは心の奥底で溜息をついた。
極道の娘である事を厭うただ唯一の時だった。
白ひげで極道パロ。
極道とか好きなもんですみません。パロなのでまた少し違った設定ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
しかし、背中に不死鳥の彫物を背負ったマルコとか萌える…!!!

[2011年 02月 19日]